山で怪我をしたときに受け入れたい3つの戒
前者は、登山を続ける中で本人がかかったスポーツ障害や怪我をまとめたもの。
後者は、アイスクライミング(氷の壁を登る遊び)中に墜落、右脚を複雑骨折して1年近いリハビリ期間を経て復活に至った記録を写真付で詳しく解説したもの。
たとえば、自分が山登り中に事故に遭って、しばらく身体の自由が利かなくなったとしよう。
事故に遭って回復するまでの長いフラットな時間を過ごさねばならなくなったとき、自分自身にできることは何だろうか。
1. 事故に至った原因を冷静に分析しよう。
事故に遭った原因がたとえ不可抗力であったにせよ、自分自身の行動に遠因は少なからず求められるはずだ。
- 道具なのか。
- 小遣いをけちることが高じて、安全まで削ることにつながっていなかったか。
- 習慣なのか。
- 例えば1年前と比べて、自分の山行やトレーニングの履歴や傾向を振り返ってみれば、運動の量や質の変化がわかるはずだ。
- 年齢を加えているにもかかわらず、レベルが維持できていないようであれば、絶対的な体力が落ちていることを認めなければならないだろう。
- 歪みなのか。
- 例えば仕事で帰宅が遅い日が続いていることはなかっただろうか。
- 入山前に無理な運転を強行するあまり睡眠時間を必要以上に削っていなかっただろうか。
- 2年前できたことが今年はできないならば、加齢による衰えが確実に進行しているか、日常の過ごし方が怠惰になっていることを認めなければならないだろう。
- レベルなのか。
- そのルートを目指すにあたって、心技体、相応の準備を行ってきただろうか。クリアすべきハードルは乗り越えてきただろうか。
2. 元に戻るまでには、相応の時間を要することを受け入れよう。
- 何もしなければ、これまで培ってきたものが風化するかのように失われることもあるかもしれない。
- しかし、一時の感情に身を委ねてはならない。決して急いではならない。
- 「何もしない」ことが逆に最も有効な戦術たり得ることを受け入れたい。
3. これまで疎かになっていた「周辺のもの、こと」に目を向けよう。
- 自分の遊びにかまけるあまり、大事な人に寂しい思いをさせていなかっただろうか。
- 周りにいる人に、自分の行っていることに対する理解を得られているだろうか。
- 自分が趣味に興じられるのは、普段の生活の基盤があってこそ、ということを忘れてはいないだろうか。
- 何もできない時間が長く横たわっている時期だからこそ、普段意識できていないことを立ち止まって考えるだけの余裕が欲しい。