あなたは、最期の顔を撮影されたいですか?〜単なる野次馬なのか、死生観の変化の予兆なのか

お葬式の際、亡くなった人の顔をカメラ付き携帯電話などで撮影する人が増えているという。

全国の葬儀社でつくる全国葬送支援協議会(総本部・東京都千代田区)の斎藤浩司理事長(34)は「月に1度は見ます」と話す。「中学生や高校生は『撮っていいの?』という雰囲気だが、30〜40代の人は当然のように撮影する」と話す。香川県三木町の三木・長尾葬斎組合「しずかの里」職員、長尾鉄夫さん(55)も「20〜30代の若い人が『記録に残す』という感じで撮る」と話す。

お葬式:カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派−話題:MSN毎日インタラクティブ

まず感じたのは、亡くなった人の顔写真を自分の携帯のメモリに記憶させておくことに、抵抗はないのだろうか?という違和感。自分が小学生の頃は少なくとも死は忌むべき存在だった。下校時に葬式の執り行われている家の前を通ると親指を隠してそそくさと通り過ぎたものだ。(親指を見せたままだと、身近な人に不幸が起きるという迷信を信じていた)
臓器移植の意思をネットで登録できるようなこの時代、日本においても遺体は魂とあくまで区別して考えられるようになりつつあるのか。
葬式で写真を撮る(しかも故人の顔)のは単なる野次馬根性として切り捨てるべきなのか、それとも新たな死生観が日本人の中に根付きづづある予兆として捉えるべきなのか。