見えない権力〜『グーグル 既存のビジネスを破壊する』

佐々木俊尚著、2005年、文春新書、760円+税。

著名なブログで発売の随分前から紹介されておりすっかり飢餓感を刺激されてしまっていた。20日の発売日に本屋にダッシュ、駆け足で読了。
ウェブ進化論』が次世代のウェブに無限の可能性を見いだし手放しで賞賛したものならば、『グーグル』はバーチャルからリアルに向けて劇的なパラダイムの転換を引き起こしたGoogleを畏怖と懐疑のまなざしで描く感じだろうか。

ある一日のネット生活

ブラウザの初期ページに設定したGoogleのトップからパーソナライズページにログインしてGmailで新着メールに目を通し、Google Newsに飛んで朝の話題をチェック。調べたい語句が出てきたときはGoogleツールバーに検索したい言葉を放り込んで、頷く記事ははてブにブックマーク。
情報収集が一段落したあとはGoogle Analyticsにログイン、管理するサイトの1週間のアクセス結果に一喜一憂。アクセスが芳しくなければSEO対策に抜かりがないかソースを見直すことも検討。
週末の山登りの計画はGoogleで似たような記録がないか検索したあとGoogle Mapsでアプローチまでの道のりをチェック、時には衛星写真モードに切り替えてイメージを膨らませる。
ウェブを生業とはしていない自分であっても、Googleがなければネットを歩くことすらままならない。
職場でも家でも、わからないことがあればネットに接続してまずGoogleに訊くという習慣がすっかり定着してしまっている。

直接の姿は見えないが、行動を強く規定する作用

検索窓だけだったGoogleにログインの画面が頻繁に出てくるようになったのはいつごろからだっただろうか。
パーソナライズ検索を有効にすると使い込むほどに自分の嗜好に近いサイトが上位に表示されるようになる。
Gmailを使っていれば、多少ウェブ上にメールアドレスを晒しても受信トレイが迷惑メールで溢れかえることもない。
検索する語句や利用するサービスを通して個人の嗜好があぶり出されるのならば、自分の考えを一番理解しているのは「こちら」にいるかみさんでも山仲間でもなく、「あちら」のGoogleであることを認めざるをえない。
プライバシーの定義を巡っては、住基ネットや個人情報保護の周辺が今でも熱いけど、Googleはそんな空気を尻目に公私を越えた個人の嗜好・思想信条に関わる記録を蓄積し続けていた。変化は身近なところで確実に起きていたのだ。
しかしそれを知ってGoogleとの関係を断ち切れるほど事態は単純ではない。公私にわたる情報を静かに蓄積する「あちら」に一抹の不安を抱きつつも、管理するサイトに少しでも注目を集めるためにgoogleの検索結果の上位目指してSEO対策を施して、サイトをGoogleの「望ましい姿」たらしめようとする。Googleが決して指示をしているわけでもないのに自らをGoogleに"帰依"させている自分、これは大げさに言えば個人の意思がGoogleに手なづけられていく過程、"Googlization(グーグル化)"とでも呼べばよいのだろうか。
主体に自発的に身体と精神を調律させて、アイデンティティやライフスタイルを規定していく作用を権力と言うならば、「あちら」から「こちら」に向けて圧倒的な存在感を放つGoogleこそWeb2.0時代の権力の司祭と呼ぶ存在に相応しいのだろうか。

それでもGoogleを使い続ける

本書の真骨頂は第六章。
Googleが必ずしも無邪気で中立ではない、単なる一企業であることが実例を交えて描かれている。

「こちら」の勤め先でも身近な家族でもなく、「あちら」にいる一企業が思考の枠を規定していく
これだけのネガティブな材料を示されても、自分自身がウェブ上で「正しい」とされる振る舞いをしている限り、直接は関係のない向こう(「あちら」ではなく)の世界のできごとだと思考を遮断しようとする自分がいる。
Googleを追っていけば一歩先のウェブに心を躍らせることができる。
Googleの言うとおりにすればリアルの世界でも注目を集めることができる。
使い込むほどに心地よいGoogleのサービスを使い続けようとする誘惑から逃れることは決して容易ではない。