夏合宿・飯豊の沢登りを終えて

無事に成功した飯豊の沢登りの余韻が醒めないうちに、いま思っていることを書きつづっておきたい。

怪我を負って味わった不安

僕自身、7月中旬の沢登り中に、岩場から不意に滑り落ちて右脚を強打するアクシデントを起こしていた。捻挫した翌日は布団から起き上がることさえ億劫で、骨折はなかったものの松葉杖をついて病院からタクシーで戻る始末。直前にハイキングでリハビリをする機会はあったものの、怪我をして2週間は右脚を引きずらねば歩くことさえかなわなかった。(このときに感じていたもどかしい想いは、「山で怪我をしたときに受け入れたい3つの戒」の記事に現れていると思う)
本番まで1ヶ月近いブランクが空いてしまい、合宿に向けて念入りに調整を行ってきたとはとてもではないが言えなかった。
これで飯豊に入ってもパーティのお荷物になるだけだ。
積み上げが中途半端な状態で困難な沢に向かう資格があるのか、自分の実力に正面から向き合うのが怖かった。だから本番の週になるまで山行計画書には目を通せずにいた。本番の直前までルート図を読んでもまるで頭に入らなかった。ただ、これまで夢だと思ってきた東北の沢を覗けるまたとない機会をどうしても逃したくはない。その一念で不安を拭い去ろうとした。一旦は参加を諦めた合宿だ、参加できることを幸運に思えばいいじゃないか。
それでも、果たして自分でも行けるのだろうか。一抹の不安は最後まで抜けなかった。

重なった偶然、鼓舞された心

僕にとって、初日の停滞は良い方向に作用したようだ。のしかかる重圧とドライブの疲れでこれまでになく重かった身体も、一晩眠れば沢に通っていた頃の感覚を取り戻したようだった。
それでも、今回の沢はこれまで自分が経験した中で間違いなく一番歯応えのある沢だった。
いつ撤退の判断を下してもおかしくはない場面がいくつも出てきた。
2日目に雨に降られたとき。濁流のゴルジュの入口に立ったとき。滝のきわどい草付きを直登するとき。泥壁をトラバースするとき。
一回の山行で胃酸が逆流するような苦みを何度も味わったのは今回が初めてだった。
それでも、平常心を終始保ったままで溯行を続けられたのはリーダーのAさんを心から信頼できていたからだ。
また、年齢は僕より4年から6年離れているが僕より沢経験・リーダー経験の豊富なY君とNZ君にも助けられた。2日目のゴルジュに架かる滝のリードなど、僕ならば尻込みして考え込んでしまうような場所でも、彼らは果敢に攻めてくれた。
渋い状況にあってもあきらめない。結論を出す前に自分で行動を起こしてから判断する。一見難しそうな場所でもそばに取り付いて実際に触れてみる。それでも、退くときは退く。そして、メンバーを信頼する。言葉ではなく態度で示す。
同じくメンバーであったNM君、K君のそつない仕草にも鼓舞された。

もう少し、夢を見ていたい

この頼母木川、飯豊の沢の中では一番易しく短い部類に入るという。あれだけ渋い思いをしたのに、まだ入口を見せてもらっただけかと思うと沢登りの世界は途方もなく広いことを肌で感じざるを得ない。
また飯豊に行きたいかと問われると、きっと行きたいと答えるのだろう。
そして、沢の季節がくればいつものように不器用に準備をせせこましく始めているのだろう。