「忙しい」とは「心が亡くなる」と書く〜もう少し悪ガキのままでいたい

遠くで働く同級生のように魂を吸い取られるほど仕事に忙殺されているわけでもないが、昨年の終わりに所帯を持ったことでさすがに仕事を終えたあと趣味の世界に没頭し続けるわけにもいかなくなった。
家事や家計が新たに日常生活に加わったことで、普段の生活において処理する情報の量や種別は昨年に比べると確実に増している。自分の趣味を続けるうえで越えなければいけないハードルも目に見えて高くなった。
多くの用事に時間を割かれて自分自身の心に余裕がない状態を「忙しい」とするならば、万年呑気に過ごしてきた自分もその空気と無縁ではいられなくなってきたようにも思える。
しかし、その言葉を安易に口にしてしまうと、少しずつ張りつめてきた糸が切れるようで未だ言葉にできずにいる。
最近注目しているブログから。

昔先輩が言ってた。「忙しいは『心が亡くなる』って書くんだ」と。
その時は、忙しいと余裕が無くなって心が死ぬって話だった。
けど、きっと心が折れるから『忙しい』って感じるんだと思う。
素晴らしきかな悠々人生:がむしゃらに
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自分自身のもやもやを言葉にするとこんな感じだろうか。

  • 「忙しい」と安易に口にしてしまうことで、自分自身やその周辺についてそれ以上深く考えるのをやめてしまう。
  • たとえば就職活動の時期など、スケジュールを記した手帳の余白が満たされたときにふと安堵を感じたことはなかっただろうか。全く根拠はないが、周りと同じ環境にいる理由だけで感じる安堵感を。
  • 「忙しい」ことを自分から口にする背景には、心に余裕がない以上に何らかの後ろめたさから逃れようとする心理が働いているとは考えられないだろうか。
  • たとえば「忙しい」ことを隠れ蓑に、かつて滾らせていた対象への情熱が翳りつつあることから目を背けようとはしていないだろうか。
  • 「忙しい」ことを理由にして、ものわかりのよい分別ある大人におさまろうとしていないだろうか。

死ぬほど遊んで、死ぬほど働いたら、きっと一番いい結果が出てくるはず。
素晴らしきかな悠々人生:がむしゃらに

もう少し、屁理屈をこねまくる要領の悪いガキでいることができるだろうか。