確かめたいから、あの場所に行く

「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない - hirax.net::inside out」を読んで、思ったことを少しだけ。

味わうために、確かめる。

つまり、眺める景色の素晴らしさを絶対に写し取ることができないだろう、と確信してしまう時に、カメラを取り出す気になれないように思います。写真で「真を写す」ことができそうにないと確信してしまうのです。
「素晴らしく綺麗な景色」は写真に撮れない - hirax.net::inside out

カメラを持って山を歩いていると、立ち止まって無心にシャッターを切りたい場面に出会うことがある。
昔に比べるとカメラの機材も進歩したし、カメラの扱いも知らなかった頃に比べると、数も少しはこなしてきたつもり。
でもそういうときほど、家に帰って画像を確かめると
「実際はこんなものだったのだろうか?」
自分の吸った空気とともにあった風景と写真とのギャップに、一人うなだれることがある。
あの場は写真で伝えられるようなものではなかったのだろうか、単に自分の腕が未熟だったのだろうか。
どちらもあてはまるかもしれない。
だから、そういう場所は心に残って、しばらく時間を置いてまた訪ねたい場所になる。
もう一度あの雰囲気を味わわせてくれるだろうか、そのときはあの空気を封じ込めて持ち帰ることができるだろうか。
畏れと不安とが、ない交ぜになった心境。

たとえばブログの場合だと。

たとえば気になるブログがある場合。
一見ありふれたように見えても、一度では意味を噛み砕けないような文章に出会うことがある。
そのような記事は、ブックマークするかどうかを問わず、自分の記憶に留まり続ける。
やがて少しずつ記憶があいまいになっていくとしても、自分にとっての節目があったときにその文章を読み返してみれば、あのとき自分の心を揺さぶったものが何だったのかを、より確かな形で感じることができるかもしれない。
そこに足を向けるたびに、あの文章を味わうたびに得られる「気づき」を楽しみにしながら。