好きだから距離を置く、好きだからそばに寄る
好きなものを、変わらずに好きだと噛みしめたくなったとき。
とりとめもなく思ったことを、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
ときには距離を置くことで
もう、すっかり自分の生活に根付いてしまった習慣があるとするならば。
好きなことを好きなままでいつづけたいなら、ときどき距離を置いて外から眺める機会を作るといいのかもしれない。
- 距離を置いてみれば、また戻ってきたとき、感性を鋭くしてそれに接することができる。
- 自分はなぜそれに興味を持ったのだろうか、なぜ飽きずにそれを今でも続けていられるのだろうか?
- 走っているうちに抱きかかえてきたものを一旦卸してみれば、もう少し遠くに飛び立つことだってできるだろう。
- 距離を置いてみれば、また戻ってきたとき、それが偶然の積み重ねでできていることがわかる。
- それは、初めからそこにあったものだっただろうか?
- 普段あるものがいつ変わってしまうやもしれない限りあるものだとするなら、流れていく色はもう少し鮮やかであってもいい。
あたりまえのように思って接していることは、全然あたりまえなんかじゃない。
ときにはそばに寄ることで
いつも接していることから少し離れたあとは、しばらく距離を空けてしまったことに目を向けてみよう。
- 触れてみると、前できていたことをためらったり、楽だと思っていたことをともすれば苦しく感じることに気づく。
- なぜためらうのだろう、なぜ苦しいのだろう。
- 身体は心についてきているだろうか? 身体と心が軌を一にするように寄り添うことはもうないのだろうか?
- そんなときこそ、そこに感じる距離を、温度を、深さを、強さを確かめよう。
- いっそのこと、時間が止まってくれればいいのに。夢でもいいから、醒めないでくれればいいのに。
- 貪りたくなる気持ちを抑えつつ、ためつすがめつ眺めながら、手探りを続ける。
自分の戻ることのできる場所。自分が自分でありつづけることのできる場所は、まだそこにあるだろうか。
で、何が言いたいの?
いつも接して毎日を彩ってくれるもの、いつも接しているわけではないけれど、深く自身に根を下ろしているもの。
そういうものに囲まれて、自分は毎日、少しずつ作られる。