裏切られて、気になり始める - 「興味がある」その先にあるもの
ウェブに広がる文章を読みながら、向こうにいる人をイメージし始めるときに抱く感情などを、少しだけ書き留めてみようと思います。
興味を持つ - イメージをあてはめるように
- ウェブを歩いていて記事を何度かブックマークしたブログやサイトはRSSリーダーに登録する。
- そのとき興味は、記事単体からおそらくブログそのものに向かう。
- そしてエントリからしみ出す「中の人」の思考のかけらを、自分があらかじめ用意したパズルにあてはめ始める。
- 「この人なら、こういうジャンルだとだいたいこういうことを言うだろう」
- 更新通知のあったブログを読みに行き、タイトルでおおよそ内容に見当をつける。
- 自分のなかで築き上げた中の人のイメージをもとに展開を予測しつつ、読み終えて実際そのとおりであったとき。
- 中の人のことを、ネットに流れる文章以上に知っているわけでもないし、向こうが自分のことを知っているかどうかなんて、あやしいものだ。
- だからひとりで得意げになる。あたかもその人を識ったような錯覚を味わう。
「興味深い」のその先へ
- ただ、あらかじめ自分が用意した枠にかけらを当てはめている作業を繰り返しているうちは、その人は「興味深い」対象ではあり続けたとしても、それ以上の存在にはおそらくなりえない。
- 興味の対象が記事からブログに移った程度では、残された記事を精読する以上に好奇心を育てることは難しい。
- 記事からブログへ、ブログから人へ興味が引き寄せられるときに、これまでどんな感情を引き金にしてきただろうか。
- それはおそらく「裏切られた」という感情である。
裏切られる - そして「気になる」
- 馴染みのブログに通っていて、自分の用意した枠であったり、強度をはるかにしのぐメッセージを不意に読み取ることがある。
- 「あてはまる」のではなく「突き刺さる」感覚。「受け止める」ことができずに「突き抜ける」感覚。
- 軽いめまい。先入観をいい意味で打ち砕かれる、だがどこかで期待していた意外性。
- 「この人、いったいどんな人なんだろう。」
- ディスプレイの向こうに、サイトの「中の人」としてだけではない、生身の「その人」がいることを初めて意識する。
- やがて、そのサイトはアンテナやRSSリーダーといった更新通知のサービスを介さなくても、ウェブを歩けばまず気になるサイトになっていく。
- 更新されているかどうかを直接確かめたくなる。新たなテキストを見つければ読み干すように記事から意味を読み取ろうとする。
- だが、ウェブに散らばったかけらをたとえすべて集めたとしても、その人そのものを知ることはできないと気づくのに、さほど時間はかからない。
- 知らないことを知ってしまう。知ることができないことを知ってしまう。
- 興味がブログからその人に広がってしまったがために認めざるを得ない、とてももどかしい感覚。
- それは愕然とするときでもあるし、まだ見ぬものが広がっていることがわかって、新たな興奮を覚える瞬間でもある。
- おそらく近づくことなどかなわないし、知ろうとしてもわかることなど限られたものに過ぎないだろう。
- だからこそ、自分の予想などはるか越えたところで、心を震わせてくれるものがあるとするならば、それを見てみたいとさらに惹きつけられる。
夢かもしれないけれど
- 知りえないことを知ることで、かけらに触れたい欲求は少しずつ高まりを見せ始める。
- もしかしたら、かけらの放つ輝きは、一時の感情の高ぶりがみせた幻なのかもしれないけれど。
- それでも、まるで往生際の悪い少年が意地を張り続けるように、少しでも長い間、夢を見せてほしいと願う。