ウェブの文章に接する態度なんかを思い出してみる - 流す、読み込む、読み返す
ウェブに広がる文章に接するときに自分はどのような接し方をしているか。
気のつく範囲で少しだけ書き留めておきたくなりました。
記事に接する態度 - 流す、読み込む、読み返す
気になるブログやサイトをチェックするためにRSSリーダーを当たり前のように使うようになって、登録するフィードもうなぎ上りに増えつつある。
だが、すべての記事を片っ端から読むわけでは、もちろんない。
飛ばし読みする記事もあれば、じっくり味わいたい記事もある。思いつく限りでは、下記のような接し方があるだろうか。
- 流す
- 見出しを一読して、いま自分の関心のある界隈に何が起きているのかを確かめる。
- 見出しをクリックすることはおそらく少ない。関心を持って最後まで読んでブックマークすることは、あまりない。
- それは、新聞を流し読みする感覚に似ている。
- 読み込む
- いくつかある、「更新されたら必ず読んでおきたい」ブログ。
- そういうブログに限って、流し読みで理解させてもらえるほど易しくない内容のことが多い。
- 飲み込めるまで読み込む。その記事に記された意味を理解したら、次の記事へと関心は移っていく。
- 精読。教科書のテキストに近い感覚がある。
- 読み返す
- 一読して、なぜかわからないけれどどこかで引っかかる。そのときは、それ以上の感触をもよおすことはない。
- そのような感触を残した記事は、ブックマークしたかどうかを問わず、記憶の隅に残り続ける。
- そして「引っかかった」感覚が、あるとき突然呼び戻されることがある。
- その人の文章に再び何かのきっかけで触れたときであったり、似たような話題を見かけたときであったり。
- 「今あの記事を読めば、なぜあのときそのように感じたかがわかるかもしれない。」
- ブックマークや検索を頼りに、かき分けるようにその記事を読みに行く。
- すると、初めて読んだときに比べるとその文章が以前とは異なる奥行きをもって立ち上がってくることに気づく。
- 一読して、なぜかわからないけれどどこかで引っかかる。そのときは、それ以上の感触をもよおすことはない。
書き留めておきたくなったのは、最後の「読み返す」ことについて。
「引っかかり」と「奥行き」
- 読み返す文章において、なぜその文章が引っかかったのか。そういう感覚が明らかにあったというだけで、はっきりとはわからない。
- 自分の関心と重なってはいたけれど、十分に理解できなかったから引っかかったのだろうか。
- それとも、あまりにも自分の考えていることに近いがために無意識のうちに遠ざけようとしていたのだろうか。
- 奥行きを感じたのはなぜだろう。その人や自分自身に対する理解が以前とは変わったからなのだろうか。
- その人の文章を読み重ねていく中で、何か自分のなかで納得できるものがあったのだろうか。
- あるいは、初めてその記事を読んだときから自分が思索や経験を積み重ねることができていたとするならば、その記事の言おうとするところが、以前とは異なる深さで理解できたといえるのだろうか。
ウェブに浸っていてよかったと思えるとき
- ウェブに身を置いていて自分自身が満たされたと感じるのは、「読み返す」ような文章に出会うことができたときだ。
- 同じ文章には違いない。だがそこからにじみ出る新たな意味を読み取るときにかすかな興奮を味わえる。そんな時間が楽しい。
- もし、その人の文章をこれからも読み続けることができるとするならば。
- もし、自分自身が少しでも考え歩むことを続けていけるとするならば。
- また、あの文章を読みに行こう。
- そこには、前とはまた違う景色が、きっと広がっているはずだ。