村が沈んだあとで - 奥美濃 徳山ダム(岐阜県)

20年ほど前まではそこに生活があって。1年前までは朽ちた建物ががんばっていて。
10月27日(土)は、かつてそこに村があったダムの様子をドライブがてら見てきました。

様子など

2007年10月27日(土)

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冠山峠。福井県から旧徳山村に入るには峠を越えなければならない。

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現在、旧徳山村は「揖斐川町」に編入されている。

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遠方にダムが見えるだろうか。

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ダム湖脇には立派な道路ができていた。

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ダム湖をまたぐ橋梁にて。こぎれいに整備された道路からかつてを偲ぶことは難しい。

  • 午前中ずっと雨のため、予定を変更してドライブに切り替え。
  • 徳山ダムへは福井県側から林道を通ってアプローチ。
    • アプローチの冠山林道は全線舗装、ダイナミックな奥美濃の山岳風景を楽しめる好ルート。
  • 「冠山峠」を越えて岐阜県へ。
    • 峠には石碑が。いま旧徳山村の行政区分は「揖斐川町」。
    • 峠は霧。ふだんは「冠山」への登山客で賑わうそうだが、今日は誰もいない。
  • 旧徳山村の集落に入る手前で細い林道はみごとな2車線道路に。
    • 以前バイクで訪ねたときは朽ち始めた村落を縫うように走っていたが、いま村はもうダムの底。面影はない。
    • 廃校の校舎に「徳山村、沈まないで」と殴り書きされていた黒板があったことを思い出す。
    • かつての、朽ちつつもまだ形を留めていた村。いまの、すっかりこぎれいな道路と満面の水をたたえたダム。
    • 自分のなかの落差を埋めることがすぐにできず、頭をはげしく横に振って確かに起きたことを受け止めようとする。
  • つい1年前までこのダムの底には村があって、20年前にはそこに暮らす人がいたことを、いま想像するのは難しい。

関連する情報

旧徳山村、旧藤橋村に関するページは思いのほか充実しているようです。気になるものをいくつか。

徳山村・水没直前の廃村の風景
//b.hatena.ne.jp/entry/http://www.din.or.jp/~heyaneko/gh11.html">:ダムに沈む直前に旧徳山村を訪ねた貴重な記録。
2006年8月。
自治体規模で消えた村(1) その2 - 岐阜県旧徳山村本郷,下開田,上開田
//b.hatena.ne.jp/entry/http://www.din.or.jp/~heyaneko/gifu2.html">:廃校の黒板に走り書きされた落書きが切ない。
2000年5月。
旧徳山村 -岐阜県藤橋村
//b.hatena.ne.jp/entry/http://www.nihonkai.com/matsuda/tour/map/hokuriku/tokuyama.htm">:「陽は柔らかく,穏やかで,陽だまりにいて谷を囲む木々を眺めていると,とてもここが水底に沈むことが信じられなかった.」
1996年、1997年、2000年に旧徳山村を自転車で訪ねた記録。
故郷 - 私の徳山村写真日記 -
//b.hatena.ne.jp/entry/http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TP1130Masuyama.html">:旧徳山村の日常を撮り続けた増山たづ子氏の写真。
春・夏・秋・冬の村の生活の様子など。