奥美濃 板取川川浦谷川 海ノ溝谷(沢登り、中退。そしてその後)
8月5日(日)は7月に引き続き岐阜県・奥美濃の銘渓「海ノ溝谷」へ入っていました。
完登はならず、眼鏡を流され肩を脱臼。思わぬダメージを受けた一日でした。
メンバーは、山岳会のYgc、Nzw、hatayasanの3名です。
報告と所感
2007年8月5日(日)
また、海ノ溝にやってきた。
前回はこの滝ではね返された。
ハンマーを岩壁に引っかけようとしている。
だが最後の一手が出ない。
僕もチャレンジ。前回よりは進めるが、行き詰まる。
思いあまって対岸に活路を見出そうとする。だが思いつきが通用するほど海ノ溝は甘くはない。
左の壁を巻いて懸垂下降で降り立つ。速く重い流れのなかで足場はきわめて不安定だった。
この滝は左側の壁を簡単に巻けた。
平和な場面はすぐに終わりを告げる。
第二の核心が近い。
第二の核心。巻くこともへつることもできない。
まずY君が取り付く。
飛び込む前に深呼吸をする。
滝裏に活路を探る。
凄まじい水圧だった。
左壁にハーケンを打つN君。
再チャレンジして粘り強く岩に取り付くY君。だが越えるには水量が多すぎた。
- 7:00 起床
- 8:30 川浦谷川 海ノ溝谷付近の橋
- 8:40 出発
- 橋のそばに駐車、橋のすぐ脇から懸垂下降して川浦谷川本谷に降り立つ。
- 海ノ溝谷に向かう林道には先月より厳重なゲートが施されている。
- 9:15 海ノ溝谷 2m滝
- 先月苦い思いを味わった海ノ溝に、また来てしまった。
- 先月より心なしか水温は温かいようだ。N君、Y君、僕の順に取り付く。
- N君はハンマーの鋭利な面を岩の細かい凹凸に引っ掛けようとしていた。Y君は海ノ溝対策に準備したという「おもり」をスリングに結び付け、核心で投げて手がかりを掴もうとしていた。
- 僕の番だ。前回の失敗で学習した効果か、落ち口の手前までは僕でも進むことができた。だがあと一歩がツルツルに磨かれていて踏み出す気が起きない。
- 白く猛って見えないけれど、対岸に行けば足場があるかもしれない。可能性を探るべく3mほど先にある対岸に乗り移ろうと試みる。だが足場を探る前に見事にはね返されてしまう。
- 僕は1回のチャレンジで震えてしまった。若い二人はもう一巡滝を攻撃、だがこの水量ではあと一歩が遠かった。
- 10:40 2m滝上流右岸を10m懸垂下降
- 11:10-12:40 2m滝
- 3mほどの幅に海ノ溝谷のすべてのエネルギーが集まっている。切り立った壁に囲まれ巻くこともへつることもできない。高さ2mもない滝だが、正面から水を被って越えるほかない。ここが第二の核心だ。
- Y君は滝裏にある足場に立ち、岩を抱きかかえあと一歩のところまで立ち上がり驚異的な粘りを見せた。だがそこから身体を持ち上げるにはあまりにも水流が強すぎた。
- N君は右岸(左壁)にハーケンを2枚打ち込み、アブミをセットする。どちらも一発で決まった。おかげで核心に飛び込む前に休憩するポイントができた。
- さて僕の番だ。滝の裏はどうなっているのだろう。アブミに乗っかり心を落ち着かせた後覚悟を決めダメ元で飛び込んでみる。
- だが水圧に完全に負けて頭もろとも滝に沈められる。滝の裏にある足場を探る前に、釜の奥底で猛る白泡に脚を引きこまれてしまう。
- 早く脱け出さねば。ザイルで確保されているとはいえ決して気持ちのいいものではなかった。水を飲まされ咳込みながらほうぼうの体で戻る。
- 岸に這い上がった僕を二人そろって怪訝な顔で見つめている。「眼鏡、どうしたのですか?」
- そういえば視界がぼんやりしている。落ち着いたところで、眼鏡を水流にもぎ取られてしまったことに気づく。
- 取りに戻ろうにも、猛り狂う釜で渦巻いている眼鏡を取り行くなど、どだい無理な話だ。眼鏡残置決定。
- 前夜京都を出る前に100円ショップで手許になかった眼鏡の紐を実は探していた。あと一軒粘ってでも探しておくんだった…。
- 予備の眼鏡をクルマには積んであるけど、下山までどうしたものか。思案していると、N君がアウトドアでは常時携帯している予備の眼鏡を貸してくれるという。これで無事に車に戻れる、はずだった。
トラブル発生
- 12:50頃 海ノ溝谷を下降中
- そして、そのときは突然やってきた。
- 足をとられないよう慎重に流れを見ながら沢を下降。いつも行っている要領で岩に右腕を置くと「カクッ」と関節が鳴る音がした。
- その瞬間、これまで確かにつながっていた右腕が自分のものでなくなった感覚に襲われた。
- 3年前に山で肩を負傷した感覚が鮮やかに思い出された。あのときも、ほんの些細な動作が引き金になったのだ。
- でも、まさかそれはないだろう。不安を打ち消そうと肩を揚げる。ほら、まだ大丈夫じゃないか。
- だが、それまで意識することもなく上がっていた腕も次第に動かせなくなっていく。卸したザックを再び担ぐのに難儀するまで、それほど時間はかからなかった。
- 見かねたY君とN君が僕のザックの荷物を分配、僕を空身で歩かせてくれる。
- やがて川浦谷本谷に架かる橋の下にたどり着く。このときすでに右腕に力をかけることは難しくなっていた。入渓時に懸垂下降で降り立った藪斜面を両足と左腕で登る。N君にザイルを曳いてもらい確保された状態でようやく車に戻る。
- 痛みが広がりつつある状態で車を運転すると注意力も散漫になりかえって危ない。帰りの運転はN君とY君にお願いして僕は後部座席で目を瞑らせていただく。
- 「今自分が見ているのは、きっと夢なんだ。」
- 自分の置かれた状況を受け入れたくはない一心で、いまだ霧の向こうにあるように見える結論を都合のいいように解釈しようとしていた。
- ただ、歩くことさえ大儀になりつつある自分の身体の変化に諦めに近い感情を抱きながら、自分の考えが身勝手な憶測にすぎないことにも薄々気づいていた。
- 「どこでメシ食いますか?」「ああ、帰ってから病院に行くことにするよ」
まるで噛み合っていない会話である。山の帰りならば本来は温泉と食事を楽しみたいところだが、僕のただならぬ様子が伝わったのだろうか、二人は休むことなく京都まで運転を続けてくれた。 - 京都に戻り、二人と合流した場所を過ぎてからは、N君が僕の地元の救急病院まで車を運転してくれた。自宅でばらして車に積んだロードレーサーを病院の駐車場で組み立て、決して近くはない道のりを颯爽と帰っていくN君。
- 心が揺れ動いていた車中でも平静でいられたのは彼らの厚意に触れることができたからにほかならない。これまで取り乱さずにいられたことを深く感謝した。
- 救急の外来ではいつになく大勢の患者が治療を待っていた。「病院まで来ればひとまず診てもらえる」と気を緩めるのはよくないことを学習する。
- 21:30 某病院にて診療を受ける
- ようやく僕の番がまわってきた。症状を説明、レントゲンを撮り、医師の診断を待つ。
- 「右肩脱臼、3週間は安静に」
- 医師の所見を聞くに及んで、苛立ちと幽かな希望が入り混じって行き着く先を失っていた心をようやく鎮めることができたような気がした。
- 身体を定期的に動かす習慣があったりすると、ついた「肉」が邪魔をしてなかなか肩が「はまらない」らしい。麻酔を打ってもらい看護師と医師の二人がかりでの療治となった。
なぜ、トラブルが起きたのだろうか?
脱臼を起こしたのは険しい場面を登っているときでも泳いでいるときでもなく、なんでもない河原を単に下降している最中でした。
診ていただいた医師の言葉を借りると「運が悪いとしか言いようがない」。
だが、どのような事故にも原因の芽があるとするならば、下記の二点ほどが思い当たりました。
- 眼鏡の流れ止めを携帯していなかったからだろうか。
- 5年近く身につけてきた眼鏡を釜にもぎ取られたことが精神的に堪えていて、それが右腕の置き場を微妙に普段とは狂わせたのだろうか?
- 右肩の脱臼が癖になっているのだろうか?
- これまでの登山のシーンで肩に負担をかけるシーンが多々あったにもかかわらず、脱臼しなかったのを逆に「運がよかった」と見るべきなのだろうか?
いま自分の負っている怪我は努力で防ぐことができるのか、それとも一生付き合っていかねばならない性質のものなのか。
この機会に、もう少し自分の身体を詳しく知っておくことが必要なのかもしれません。