mixi日記はブログのネタを書き散らすくらいでちょうどいいのかもしれない

この日曜日、珍しくmixiを歩く機会があったのですが、マイミクになっていただいた方の日記やらを歩いていて感じたことなどをいまさらながら書き留めておこうと思います。

「形」を求めるウェブ

  • ウェブで検索するときに求めている情報は、ある程度完成、あるいは加工された情報。
    • たとえば本の情報なら、求めているのは本を読んで評価した感想。
    • だから、「こんな本買った」という「生煮え」の記事が読む対象になることはあまりない。
    • 目当ての情報を検索して目的を達成すれば速やかに立ち去る。ある意味で殺伐、ある意味できわめて自然な振る舞い方。

「つながり」を優先するmixi

  • 一方、mixiで優先されるのは、情報の有用性よりも、「つながっている」というライブ感。
    • たとえばマイミクの日記を歩くとき、先立つ動機は「役に立つ情報を探す」という差し迫った感情より、「知り合いが何か楽しいことやっていないかなあ」という興味。
    • ウェブで関心を持つのは「情報」。mixiはどちらかといえば「人」*1
    • 内容が未完成であればあるほど、想像力が膨らむ。ツッコミどころが多いほど、コメントをしたくなる。続きが気になる。
    • たとえば、読書の記録。ウェブで拾った「こんな本買った」という記事は時としてノイズに近いけれど、知り合いの書く「こんな本買った」には、それだけでその人の嗜好、その人がこれからどのような文章を書くか、想像力をふんだんに喚起してくれる。
    • ウェブに向けて発信する記事は、程度の差はあれ相応の体裁を整えたほうがいいのではないかと思う。一方で、アクセスを制御したmixi日記のような「知り合いしか読まない情報」ならば、未完成のものであっても出すことに抵抗は少ないかもしれない。

以上つらつら書いてみましたが、よくよく考えれば、「知り合い」という属性が加味されてさえいれば、ウェブであろうとmixiであろうと、テキストを読みに行く動機、コミュニケーションをする敷居はそれほど変わらないのかもしれません。

*1:ただし「情報」を通して「人」をフィルタリング、これはと見定めた人の書くものは信頼できる、という前提に立てば、SNSはウェブより密度の濃い「情報」に容易にリーチできる手段であるという考え方もできる