ブックマークをためらう5つのシチュエーション

はてなブックマークを始めてしばらくの間は気になった記事を手当たり次第ブックマークしてきたのですが、1年以上使い込んでいると
「気になるなあ。でも。」
と、ブックマークを足踏みする場面が意外と多くあることに気づきました。
興味を持った記事なのに、なぜブクマに二の足を踏んでしまうのか。
思いあたることを少しだけ書き留めてみようと思います。

ブクマをためらうシチュエーションがあるとするならば

1. リアルに思いをいたすとき。

たとえばリアルな知人やネットで知り合った人の、あちら側での息遣いが伝わってくるような記事を読んだとき。
そういう記事をブクマしようとするときに生まれるのは「気になる記事を記録しておく」のではなく「はてブにリアルを晒してしまう」後ろめたさ。
あるいは、自分の至極プライベートな生活が浮き出るような記事をブクマしようとするとき。
ブクマやブログを公開でやっていても、自意識のすべてをウェブに出すことにはやはりまだ抵抗があって。
そんなときは、ニヤリとするか、プライベートに作ったブックマークで管理しておくかのどちらか。

2. あまりにナイスなネタのとき。

ネットをほっつき歩いていて偶然見つけた、つい取り上げたくなるほどの美味しいネタ。
ひょんなことで拾った隠し球。いちばん先にブログで取り上げるのは自分でありたい。
でも、ここでブックマークすると先を越されてしまうんじゃないか。
もっとも、悶々と踏みとどまっていてもはてブ外で注目されてしまうと、まったく意味がないのだけど。
はてな村というコップの中で繰り広げられる、ブクマ心理戦。

秘蔵のネタのつもりでネタコレクションしていても、公開されているブクマに取り上げた時点で面白スクープネタになりえない
ekken♂ : ネタ帳としては使えないはてなブックマーク

3. 気になる人が先ずいたとき。

自分が1番乗りだろうと思ってブクマした記事に先客がいたとき。
それが気になるブックマーカーだったときに、心に静かに立つさざ波。
「なんか、最近この人自分の前にブックマークしていること多いなあ」
そんなとき、ブックマークする前につぶやく独り言。
「別に、あなたに連られてブクマしたわけではないのですからね。」
ブクマする前にちょっとした自意識の葛藤があったことが、決して表に出ることはない。
これもまたブクマ心理戦。

4. そっと見つめていたいとき。

変わることをあえて望まない。
伝えることで、変わってしまうのを寂しいと思う。
自分にとってのそこが、隠れ家のような場所であってほしい。
それが、読み手の一方的でわがままな願いだとはわかっていても。

「読まれている」ことを必要以上に意識されてしまうと、そのブログは僕の好きなブログでは少しずつなくなっていくかもしれない。僕はそれを複雑な思いをもって受け止めるだろう。
忘却防止。 - 伝えることをためらうとき〜悪趣味なのか、臆病なのか

はてブでも、儀礼的無関心でこういう良質なブログを敢えてクリップしないで、一人でライブドアでプライベートモードクリップにして続きを読んだ方が良いかもしれない
こにの壺焼 - 気軽にはてブするのも考えものかもしれない。。。

5. 記憶にとどめていたいとき。

いささか逆説的ながら。
自分の考え方に影響を与えるほどの鋭い記事。一読したくらいでは到底理解できないと直感した広く深い記事。
内容を理解したわけでもないのにブクマするなんて、おこがましい。
頭をガツンと叩きのめされた感覚がいつまでも残って、ブックマークレットに手が届かない。
記事の残した印象が強烈なほど、ディスプレイを前に視線はその向こうを泳いでいる。
印象が薄くなれば自然に忘れていくだろうし、また読みたくなったときはGoogleにキーワードを打ち込んで読みに行けばいいか。
自分でも信じられない、さばさばとした感覚。
ブクマもしないしローカルにも保存しない、それでも自分の記憶にしっかり刻み込まれる、そんな記事がある。

本当に心のなかでブクマしているものは、私のブラウザの「お気に入り」に入れてあります。それは誰も見ない。
Fragments | 本当に好きなものはブクマしたくない心理

読み返す必要もないほど深く心に焼き付いた名文と出会った時、「ブックマーク」という行為はかえって失礼に感じてしまう場合がある。
音極道茶室: ブックマークする名文しない名文