こんな本読んだ〜『ウェブ人間論』

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

梅田望夫氏・平野啓一郎氏の対談集をまとめたもので、『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)』の続編にあたる本と見てもいいと思います。
ブログを書くことは自分自身にどのような影響を与えていくのか、年の初めに意識して読んでみました。
気になったページに折り目を付けていくと左隅の角だけ厚くなってしまったので、折り目を戻して付箋を貼り直しました。
響いた文章を少しだけ抜粋してみましょう。

ブログを書く意味

ブログは書き始めて四年になるんですが、自分でやってみて痛感したのは、文章の推敲が足りなくても、少々誤字があってもいいから、リアルタイム性と勢いが必要だということです。
38頁・梅田氏

多少雑多で整理できていない文章であっても、コメントやトラックバックで記事に思わぬ深みが生じることがあるとすれば、まず記事を書いて問いかけることに意義がある、ということでしょうか。

むしろブログの本当の意味は、何かを語る、何かを伝える、ということ以上に、もう一つあるのではないかと感じています。ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感があるんです。
39頁・梅田氏

「人間の成長」とまではいきませんが、「自分を省みる場所」をウェブ上にようやく作れたのではないかと、1年間ブログを続けて思うようになりました。

良質な「おせっかい」

今後五年くらいの間に(中略)、オピニオンリーダーが誰かというのが多くの人の評価によって決まってくるとか、ある個人が一生に一回だけかけたみたいな「万に一つの面白さ」のコンテンツも自動的に浮かび上がってくるような仕組みが見え始めてくるはずです。
48頁・梅田氏

はてブならば

  • ブックマークの志向でユーザを複数のジャンルにセグメント化する
  • 該当するジャンルの複数のユーザがブックマークしていれば、「こいつは読む価値のある記事だ」とサジェストする

仕組みになるでしょうか。
お気に入りユーザの見せ方を工夫していけば、こうした世界が実現するのは意外と近い気がします。

情報にハングリーな人のネット上での活動ってすごくて、いくらコミュニティにたくさんの人が入ってきても、リテラシーの高い人が先にある流れを作ってしまうようなことが起きる。エッジが立った人のヴォーティングの仕組みというのは、母集団が大きくなっても維持できるのではないかと今は考えています。
51頁・梅田氏

はてなブックマークにも言及がありました。
はてな界隈でたまに話題になる「はてブの衆愚化」については、質の高いユーザがいる限り当面は安心だと書かれています。

オープンがゆえの逆説

全部オープンになっていると、逆に誰も読まないんだと。
101頁・梅田氏

情報に「アクセスできること」(アクセシビリティ)と「見つけられること」(ファインダビリティ)は必ずしも比例しないのではないかという話。
自分をウェブ上で認知してもらうには「継続してブログを更新する、ニッチなキーワードを狙うなどして検索エンジンに拾ってもらう」といった相応の努力が必要であると書かれています。

今の世の中は、他者に対して極端に無関心だし、不寛容になってしまっている。そうした時に、島宇宙的な世界に属していることの安住感というのは、その外側を存在させなくなってしまうんじゃないか。
167頁・平野氏

自分の場合を思い返してみれば、RSSリーダーに登録しているブログとはてブのお気に入りで8割方情報収集を済ませているに気づきました。
情報収集の密度を高めた結果「島宇宙」に属していることを意識しつつ、信頼できる「ノイズ」を確保する工夫*1も、情報の偏りを分散させるにはあったほうがよいのではと思いました。

個人にとって、ネットはとんでもない能力を持った道具です。それが全員にあまねく広がったからよいという考えもあるけど、能力の増幅器でもあるから、個人の能力の際が限りなく増幅されるという側面ももう一方である。
179頁・梅田氏

Googleを使いこなせるかどうかが新たな格差の温床になるのではないかという話*2は、まさにその兆候でしょうか。

*1:言ってみただけで、何を指すかは自分もわからない。せめて紙の新聞くらいには広く浅く目を通せということなのかもしれないし、はてブのお気に入りユーザの趣向をもう少し広げてみるということかもしれない

*2:「ググる」子供と、「ググれない」子供 - bpspecial ITマネジメント:コラム - 「ググる」子供と、「ググれない」子供