鉄道ジャーナル 2007年2月号

特集は「会社境界の現状」。
国鉄が分割・民営化されて2007年で20周年を迎えるにあたっての特別企画。JRの会社境界上にある路線や駅、列車が取り上げられています。*1
民営化にあたって会社の境界を決める経緯に触れた論考「会社境界の経緯」は当時を振り返る貴重な資料となるでしょう。

鉄道ジャーナル、激動の年

衝撃が走ったのは編集後記をめくったとき。
1977年から30年近く鉄道ジャーナル誌の編集部員として写真を撮り続けてきた沖勝則カメラマンが2006年11月30日永眠されたそうです。*2
112頁〜113頁には、氏が生前に撮影した写真が見開きで掲載されており、編集スタッフの最大限の餞を見るような思いがしました。
2006年は鉄道ジャーナルにとって激動の年だったようです。80年代後半から90年代前半にかけて黄金期を築いてきた顔ぶれが相次いで舞台を去りました。表立ったものだけ挙げてみましょう。

  • 種村直樹氏の引退
    • 1973年から連載してきたコラム「レイルウェイ・レビュー」が2006年7月号をもって休載。今でも誌面に筆をふるっているとはいえ、一線を退いたことは否めません。
  • 竹島紀元編集長の交代
    • 1968年の創刊から40年近く編集長を務めてきた竹島編集長が、高齢による体力の衰えを理由に2007年2月号をもって引退。
  • 沖勝則カメラマンの逝去

趣味の雑誌に失われる求心力

2003年2月号の再録ではありますが、竹島編集長が最後の編集後記で「若い人たちの“鉄道離れ”を憂える」と題して、考えられる原因をいくつか考察されています。そのなかでも、ウェブの普及が鉄道離れを加速したと触れた下記のくだりは響くものがありました。

5 インターネットの普及
鉄道(趣味)誌はそれぞれ編集理念と読者の好みが違いますが、大雑把に言って“読んで楽しむ”ことと“情報を掴む”ことが読者の基本的なニーズであると考えられます。ところが最近はインターネットが普及し、「ホームページ」で臨時列車の運転や鉄道の催しなど様々な情報が瞬時に入手できます。(中略)
1ヶ月に1度だけの鉄道(趣味)誌の情報を待つより速くて便利なのは確かで、このことだけでも読者の減少が納得できるような気がします。
鉄道ジャーナル 2007年2月号 こちらジャーナル編集室(164頁)

ブログやSNSが普及して読者レベルで能動的にコミュニケーションする敷居が低くなってしまった今、趣味の雑誌が求心力を得ていた時代はもしかしたら過ぎてしまったのかもしれません。
まだガキだった頃から20年近く「鉄道ジャーナル」を読んで語彙を吸収してきた身にとっては、なんともやるせなさが残った2月号でした。

*1:津軽海峡線、特急「南紀」のルポ、JR東海に9存在する境界駅の素顔

*2:2006年12月の早い時期に、鉄道写真家の南正時氏の11月30日の日記で訃報については触れられていたようです