伝えるとき、隠すとき〜ウェブで自分を演出しているとするならば

novtan別館 - h抜きリンクは間違っているか」を読んで。
ウェブで自分の存在を伝えたいとき、あるいはその逆のシチュエーションがあるとするならばどのようなときか、書き出してみようと思います。

ウェブで「伝える、隠す」を意識するとするならば

↑ 隠す(見せない)

  1. リファラで馴染みのないURLを見かけたとき
    • ブラウザのセキュリティを高くしてURLをコピー、アドレスバーに貼り付けて「移動」。
    • リファラスパムに遭うようになってから、馴染みのないURLを踏むときは慎重になったような気がします。
  2. 読んでいるのを相手に知らせたくないサイトに行くとき
    • ローカルのブックマーク(お気に入り)からサイトに飛ぶ。
    • リアルな知人が開いているサイトを悟られずに読みに行きたいときなどは、原始的ですが安心できるこの手段を使っています。*1
  3. 巡回先を読みに行くとき
    • いつも使っているウェブサービス(アンテナやRSSリーダー)からサイトに飛んで、それとなく足跡を残す。
    • リファラアクセス解析を見てもらうことができれば、「見に来ましたよ」とささやかなメッセージが届けられるかもしれません。
    • 伝わる人に伝わればそれでいいかな。ある意味でものすごくいい加減な感覚。
  4. 記事に頷いたとき
  5. 記事に共感を覚えたとき
    • はてブにブックマークして、感想を書き綴る。
  6. 記事に強く共感または興味を覚えたとき
    • 記事のコメント欄に感想を書き込む。
  7. 記事からインスピレーションを受けたとき

↓ 伝える(見せる)

感情の強弱に応じて、ウェブで無意識のうちに自分を演出しているというのはあるのかもしれません。

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*1:昔はプロキシサーバ越しにアクセスすることもありましたが、今はそこまでやっていません