はてなブックマークのコメントの距離感を考えてみよう
はてなブックマークのコメント欄の使い方について、思うところがあったので少しだけ整理してみようと思います。
はてなブックマークのコメントの性格
はてなブックマークは基本的には自分のために使うものですが、状況に応じて異なる性格を帯びることがあります。
- 自分用のメモ (基本の使い方)
- あとで思い出しやすいように、記事で気になった部分を要約しておく。
- 記事を読んで感じたこと(ネガ・ポジ含む)を、感想を含めて書き綴る。
- コミュニケーションの手段 (状況に応じて帯びる使い方)
- 同じ記事をブックマークしたブックマーカー同士、エントリーページで“会話”する。
- 記事の作者へのコメントを書く。
時折解釈の違いが表面化するのは、後者の「コミュニケーションの手段」としてコメントがみなされるときです。
エントリーの作者からブックマークのコメントに対して真意を確かめられたとき*1、「これは独り言だから、いいじゃないか」と足場をはぐらかすのは自由とはいえ、フェアなコミュニケーションが二者の間で成立しているとは言い難いでしょう。読み手の誤読が時折起きてしまうのは避けられないにせよ、そのような「弁解」を繰り返すブックマーカーの評価は然るべき位置に定まっていくはずです。
パブリックモードではてブを使っている限りにおいて共通しているのは「公開されている」ということだけ。はてブのコメントは自分向けなのか、それとも記事の向こうの人に向けてなのか。捉えどころがない混沌とした間口の広さが、はてブをはてブたらしめているのではないかと思います。*2
確信犯でコメントの矛先を向けるとき
僕の場合、そのわからなさを逆手にとって、記事に対して強い違和感を感じたときは、主張を明確にするためにコメントの矛先をあえて特定の位置に向けることがあります*3。
「これ、なんか違うんじゃないか」
たとえば、記事を読んで自分の中にもやもやが残ったとしましょう。
まず、引っかかるのはなぜかを考える。次に自分と向こうの間にどのくらい距離があるかをこれまでの経験を踏まえて測る。
コメントは公開されている、もちろん、記事の筆者に読まれることは織り込み済み。
以上のように足場を固めたうえで、読まれることを前提としたコメントを書くことがあります。
自分の文章がどのように解釈されるかは、読み手に委ねるほかない
僕自身はてなで日記を始めてなんとか1年を迎えられそうなのですが、はてなブックマークのコメント欄を通じて、自分の文章が読み手によって実に様々に解釈されていくことがわかりました。
「しまったなあ」 脇の甘さを後悔すれば、「こうも読めるのか」 新鮮な視点に目からうろこが落ちることもあります。
また、自分の日記にアクセスしてくれる人が必ずしも「顔なじみ」の人ばかりとは限りません。
自分の書いた文章、とりわけ思ったことをそのまま書いてもしまえるブログならなおさら、一旦公開した文章がどのように読まれるかなど、読み手に委ねるほかないでしょう。たまたま取り乱して書いてしまった記事でも、読んだ人にとってその人の印象がその記事で決まってしまうことだってありうるわけです。
匿名であるとはいえ、ウェブで与えられたハンドルネームにどのような価値を与えていくか。
少なくとも、僕は同一のハンドルネームで書いている限りにおいては、一貫性、連続性を持った存在でありたいと思っています*4。
ブックマークのコメントをどう読むか
次第に認知されてきたとはいえ、まだまだ歴史の浅いはてブのような決まりごとのない空間で拾った違和感に対して、何をもって「不快」を表明し、どこをもって「共通の了解」を見出すのか。
この手のネタが尽きることはないようですし、ある意味ではいつまでも堂々巡りを繰り返しているような気もするのですが、自分の関心が追いつく範囲で地道に対話を積み重ねていくほかないのではないかと、自戒を込めて思います。
この記事を書くにあたって参照した記事
- 鼻が赤くなりにくいティッシュです - ブクマコメントに「あなた」と書いた訳
- はてなブックマークのコメント欄で二人称で語られるときへの違和感について。
- 断片部 - y0mu-tr*x - 表現型 (2)
- 同じく、はてなブックマークのコメント欄で二人称で語られることへの違和感について。コメント欄の適度な距離の取り方について身につまされるところがありました。
*1:真意を確かめることをめぐって記事が立つこともあれば、エントリーページの中で完結することもあります
*2:はてなブックマークの間口の広さについては、2005年の記事ですが「caramel*vanilla: はてなブックマークがどっかおかしい件 」が上手く言い表していると思います。
*3:記事の筆者に向けてであれ、記事の向こうで取り上げられている事柄に対してであれ
*4:その意味で、ハンドルネームを一貫性の中で捉えたいと考察された「Re: Person I don’t know - ブログに於ける匿名コメントの是非について」にはとても頷くものがありました。もちろん、感情の起伏に応じて文体や考えを変えるブログにも魅力はあると思いますし、自分が読み手である限りにおいてはそのような書き方を否定するものではありません。