今までで心に残る山があるとするならば〜2002年、妙高スキーツアー

11月3日から5日まで、甲信越の「小川山」というクライミングのゲレンデで岩登りの練習に入っていた。クライミングの初心者としてほんの触りを体験するだけで時間が瞬く間に過ぎていくように思えたが、これまでどちらかといえば遠ざかっていたジャンルにどっぷり浸かることで、今の自分に足りない能力が具体的にわかってきたような気がした。
その帰りの車の中で「これまで山をやってて、いちばん楽しかった山ってどこかなあ?」という話になった。
まず思い浮かべたのは、ここ数年社会人山岳会にもぐりこんでいて、自分の力では決して覗くことのできない濃い世界を何度も見せていただいたことである。
ただ、「今まででいちばん心に残る山」を、「自分自身の考え方に深い影響を与えた山」と言い換えるならば、山そのもののレベルよりも、拙くても自分の足や頭を使って歩ききった山を挙げるのが相応しいのではないかと思った。
そうして思い浮かべたのが、4年前の2002年、山スキーを始めて2回目、山岳会に出入りする前に単独で出かけたスキーツアーである。
当初の記録文と写真が出てきたので、振り返る意味を込めて掘り起こしてみよう。

妙高 三田原山〜高谷池〜鍋倉谷スキーツアー(2002年3月)

2002年3月14日(木)

20:15京都発。北陸道 名立谷浜SAで仮眠。

2002年3月15日(金)

杉ノ原スキー場駐車場0830〜杉の原第2高速リフト上0845〜三田原山1200〜黒沢池1320〜1500高谷池ヒュッテ付近

杉ノ原スキー場から入山。本来なら第3高速リフトで1855mまで詰める予定だったが、強風につき第3高速は運休、第2高速で1500m付近まで登るにとどまる。ガスで視界も利かず雨足も強く全身が濡れる。アイゼンを履かなければゲレンデを登ることもままならずいきなり気が滅入る。
トレースはやがて消えてコンパスと地形図を頼りに進む。稜線に出て一安心するが、地面に入った大きなクラックで雪庇を踏み抜くのではと気を引き締める。
12:00、三田原山2360mの標識を通過。ここから黒沢池までは下り。もっともガスで視界は晴れずスキーを使えるような状況では到底なく、ツボ足で慎重に下る。
黒沢池はすり鉢のような地形。このあたりから雨は雪に変わる。そういえば今日あたり「春一番」が吹くと天気予報で言っていた。時折強烈な南風、さすがに寒くフードを被る。
鞍部を越えてさて高谷池ヒュッテ、と行きたかったがいよいよ視界なく、平らな地形で自分のいる場所を特定することができない。20分程度さまようが強まる吹雪に体力の消耗を感じ15:20に幕営を決断、風の影響を受けにくい森の木陰に雪を掘り起こしてテントを押し込むように張る。
テントを張り終えた直後から急速に気温が低くなったようで、ザックをはじめ装備がパリパリ凍りだす。雨で濡れた身の周りのウェアは言わずもがな。全身から生気を抜き取られそうな気分だ。
夜が更けても風は一向に収まりそうになく、雷混じりの吹雪の様を呈してきた。
起きるたびにテントの居住面積が狭くなる。雪をかき出しに2回ほど外へ出るほかなかった。雨で装備を凍らせ、吹雪に戦々恐々と過ごす。学生時代にも味わったことがないエキサイティングな一夜だ。

2002年3月16日(土)

0630幕営地0810〜0845高谷池ヒュッテ周辺滑走0930〜1000鍋倉谷滑降1330〜杉野沢橋1330〜笹ヶ峰1630〜1920杉ノ原スキー場

6:30に起床、風は多少あるが文句ない快晴だ。高谷池ヒュッテは幕営地から100mほど南に。惜しかった。
 
昨日あれほど激しかった吹雪はすっかり止んでいる。快晴だ。
北方に広がる火打山の写真をここぞとばかりに撮りまくる。まるで絵本を見ているようだ。これを見るだけでも来た価値があろうというものだ。
 
当初はここから火打山へ登るつもりでいたが、このときは早く下山したい気が勝った。すぐそばの天狗ノ原〜高谷池ヒュッテを2本ほど流したあと下山の準備へ。三田原山に登り返すのを負担に感じたため、高谷池の南の沢(鍋倉谷)を下ることにする。

急な傾斜はスキーにシールを着けた状態で下り、自分の器量でできる判断したところはシールを外す。雪面はさらさらの粉雪。ツボ足なら30分はかかろうかと言うところもスキーなら瞬間で通過できる。これは便利だ。
しかし喜んだのも束の間、気温が上がるとともに沢が割れてくる。両岸から落ちるデブリ*1も次第に大きくそして固くなり、狭くなったところは細心の注意を払って通過する。
 

やがて沢を下るにつれ水の音が大きくなってきた。まさか、と思っていたが滝がすでに姿を現していた。「ヒコサの滝」である。雪でかさ上げされているものの、落ち口から地面まで高さ10Mはあるだろう。
落ちても死ぬことはなかろうが、落ちた衝撃で下のスノーブリッジを壊してしまうと簡単には脱出できそうにない。ただ滝は足場が豊富ではなんとか下れそうな気もする。意を決して左側の壁に沿ってクライムダウンを開始する。

スキーとザックを担いだ状態でしかも足はプラスチックブーツ。こんな事態想定していない。ロープを持ってくるんだったと激しく後悔する。
昨日の登りよりも鍋倉谷の下降に激しく消耗。杉野沢橋から笹ヶ峰〜杉ノ原スキー場までの12kmの林道歩きが身に堪える。笹ヶ峰の牧場を過ぎる頃には、日が暮れようとしていた。
 
日が沈みヘッドランプを装着し、スキーの裏には雪がつき始めると足取りもいよいよ重くなる。車を停めていたスキー場にたどり着いたのは日も暮れた20時前。待っていてくれていた車に寄りかかって「よっしゃ」と無事に帰れたことを喜ぶ。
一人労をねぎらい、すぐそばの健康ランド「ランドマーク妙高高原」で死んだように眠った。

冷たい雨のなかの出発、目的地の手前に迫るも激しい吹雪で前進を断念してビバーク*2。急速に下がる気温のなかでみるみる凍っていく全身を暖めつつ、吹雪に押し潰されないよう2時間おきにテントから出て雪を掻きだす。
翌日は沢筋を下降するルートを選んだものの慣れない深雪の扱いに苦労して転げまくったあげくに遭遇した10mの滝はスキーを背負ってクライムダウン。最後は雪に埋もれた林道12kmをラッセル、13時間行動でスキー場へ戻る。
学生時代に山に少しだけ登っていた貯金で最低限の冬山の知識はあったものの、履いていた靴はスキー用ではない縦走用のプラスチックブーツだったし、位置を特定するGPSはおろか遭難したときの保険になるビーコンやゾンデを持っているはずもない。ましてや泊りがけのスキーツアーが初めての身にあって、「滝に遭遇したら対岸にルートを求めましょう」なんて機転が利くはずもなかった。
まあ、見る人が見れば遭難の一歩手前である。
ただ、このとき滑って転んで歩き続けて自分を燃やし尽くす体験をしていなかったら、仲間を求めて山岳会の門を叩くこともなかっただろうし、今回のように岩を攀じる世界があるということを知ることも決してなかっただろう。
その意味では、このときのスキーツアーは間違いなく自分自身の転機になっている。

美しいものに触れるとき

僕自身、冬山に抱いていた思いがあまりに偏狭だと諭されたのもこのツアーを通してだった。
所詮下手の手習いである。それまで山の厳しさを語るほど山に入っていたわけでもないし、そのような経験や資格などないこともわかっていた。
それでも、一晩吹き荒れた吹雪のあとにやさしく姿を見せた火打山を前にしたとき、山には人間の感情を超えた絶対的な美しさがあることを僕は確信した。
静謐なる自然を独り占めできたような誇らしげな気持ちとともに、自分が日常生活でうじうじ抱いていた劣情など、ほんの瑣末な断片に過ぎないような気がしたのだ。

それでも、もう少しだけ

あれから4年、僕自身の私的な環境も少しずつ変わっていくなかで、以前のように自分の趣味だけにかまけるわけにもいかなくなってきた。
それでも、焦がれるような思いを向こうに感じている間は、自分に与えられる自由な時間が少しずつ減っていったとしても、数少ない機会をものにするために僕は悪あがきを続けるのだろう。
だから、今夜もいそいそとウェブを歩きながらとりとめもない想像に耽るのだ。

*1:雪崩の跡

*2:緊急露営すること。