モチベーションの先にあるもの〜消費されるブロゴスフィアの片隅で

ブログを書きながら被ブックマーク数やアクセス数を必要以上に気にするようになったとき、「消費されるブロゴスフィア」に片足を突っ込んでいる自分がいることに気づく。
語れることを語り尽くしたその先に、見えてくるものは何だろうか。

わかってはいることなのだけど

はてブをしていていつも心に留め置いていることに「ブックマークの数が多い記事が、必ずしも“良い”記事とは限らない」ということがある。
ブックマーカーがブックマークするきっかけにおいて共通するのは「その記事に立ち止まる」点のみにおいてであり、「共感」「反感」「記録」といった内面の動機は決して一様ではないからだ。
同じように、被ブックマーク数やアクセス数が多いブログやサイトが、必ずしも読むに値するとは限らない。
ここまでは、「GIGAZINE問題*1」「ネガティブブックマーク*2」や「炎上*3」の事例から僕たちは学んでいる。
ならば、逆に「ブックマークやアクセス数が多くはなくても、読むに値するブログがある」とは言えないかと考える。
新たな巡回先を開拓するとき、ブックマークやRSSリーダーへの被登録数を僕はほとんど参考にしない。
「1〜5usersの記事にこそ読まれるべき記事が埋もれている*4」との言葉にもあるように、ブックマークやアクセスの多寡にかかわらず、読ませるブログはは読ませるブログとして確実に存在する。
だが、自分のブログの場合においてはどうなのだろうか。

自分自身を評価する物差しは

読む対象としてのブログには「アクセス数に関係なく良い記事はある」と断言することができても、自分のブログにおいて「アクセス数や被はてブ数に関係なく自分自身が納得ゆく記事をあげられるかどうか」と問われると、返答に困ってしまう。
ブックマーク、コメント、トラックバック
はてな村やその周辺から自分の記事がどのように評価されているかを知る手段は、思った以上に多く用意されている。
「恵まれた」環境の中で、自分が自分を評価するよりどころにしているもの。それは良くも悪くも「可視化された反応」だ。
だから「アクセス数」や「被ブックマークの数」を、手っ取り早い「自分の記事の出来栄え」に見立ててしまう。

消費されるブロゴスフィアの片隅で

移ろう数字に一喜一憂して、より刺激的な結果を得ることに腐心を始める。
これこそ、消費されるブロゴスフィアに足を踏み入れることにほかならない。
アクセス数やブックマークの数が気になるからこそ、書くのに手っ取り早く、読む人の歓心を引きやすいネタに無意識のうちに手を伸ばしてしまう。
ネットにつないでいる限りはてな村にどっぷり浸かっているから、村のネタには事欠かない。
また、はてなネタやブログネタは記事のクオリティに多少問題があったとしても「ネガティブな評価」「考えるきっかけ」をブックマーカーにもたらす意味合いで、「数」だけのブックマークやアクセスはそれなりに稼げる。
そしてその流れに自分自身が興じているときは、間違いなく「楽しい」。
目に留まりやすいネタを繰り返し書き綴ることで、市井の一ブロガーを、あたかもブロゴスフィアの片隅ではあれ脚光を浴びているような錯覚に陥らせるのだ。
ブログなど所詮娯楽であり時間軸に沿って消費されるものとする理解に立つならば、消費されていることを意識することなくアクセスアップに狂奔できる状態こそブログの醍醐味であるという逆説もまた成り立つだろう。
ただ、ほとぼりが冷めて「あなたは何がしたいの?」ともう一人の自分に問いかけられるとき、空っぽになった自分の心の中を直視するのが怖くて、問いかけを咀嚼しようとせずに意固地になっている自分に苦笑いせざるを得ない。

語り尽くしたその先に

はてな論やブログ論。自分の中に書き留めたい動機や欲求がある限りにおいては、もう少し書き綴ることがあるだろう。
やがて語れることを語り尽くしたあと、「ブログの寿命」というものを自分の問題として意識するときに、新たに見えてくるものがあるのだろうか。
燃え尽きてブログから遠ざかっているか、アクセス数やはてブ数に惑わされない世界観を自分のサイトの中で築く糸口をつかもうとしているのか、それはまだわからないけれど。

参考にしたい記事

「消費されるブログ」「ブログの寿命」を考えるときに、補助線を引いてくれそうな記事を集めてみました。

MUSTERBATOR - ブログ寿命
個人のモチベーションのみを更新の原動力としているブログの寿命はせいぜい2〜3年であると喝破した名エントリ。思い当たるところ多数。
何のために?-日々是自己主張
「アクセスを維持し、たくさんの人と交流するための努力に意味はあるのか」何のためにブログを書くのか、揺らぎを覚えたときに。
シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。
「一日二日で反応しなければならないほど急ぐ話題なんて滅多にない」消費の仕組みからあえて降りることで他者を尊重するブロゴスフィアが生まれる。記事に書き疲れたときに。
『斬(ざん)』:消費されるブログ記事
渾身の力を込めて記事を書いて注目を浴びたとしても、瞬く間に忘れられ消費される。それでもブロゴスフィアに身を置くということとは。
あんたジャージでどこ行くの: 掲示板・blog・SNS
情報の双方向性が前面に出るにしたがって、情報の有用さよりも「敷居の低さ」が重視される。これは、はてな村の情報の消費サイクルにもあてはめられそうな気がする。
F's Garage:消費されないブログ記事を書こう
はてな村に身を浸してしまうことの弊害について。「多くの人に消費されるよりも、本当に必要とするその一人のための情報を書いておこう。」繰り返し読みたい記事。
べにぢょのらぶこーる - ブログの勝ち負けは誰が決める?
はてブ数より記憶に残るブログを。」強く共感を覚える。

*1:記事の品質が吟味されることなく特定のサイトにブックマークが集中すること

*2:最近ならば無断リンクネタに「これはひどい」のタグのついたブックマークが集中することがあった

*3:自分も含めて、ブックマーカーにとって炎上の現場は「読むに値する」というよりか、「見るに値する」という感覚だろう

*4:たとえば、b:id:webmugi氏のブックマークにそのようなコメントがあったのは非常に印象深かった