「巡回するサイト」と「影響されるサイト」に違いがあるとするならば
「巡回先」としてチェックするサイトがあれば、巡回を意識する前に更新が楽しみで仕方ないサイトもある。
そのようなサイトを「影響されるサイト」とするならば、その違いはどこに生まれてくるのだろうか、思いつきで書き出してみようと思う。
巡回するサイト
ネットを歩いていて気になったサイトは、秘かに自分のブックマークに登録しておく。*1そのようなサイトを僕はなぜ「巡回先」として訪ねるのだろうか。
- 趣味や嗜好が自分と似た部分があるから。
- 自分と同じような匂いが文章から漂ってくるとき、そのサイトは自分にとっては気になる対象となる。
- 記事の内容に共感する部分があるから。
- 自分の中にあるもやもやをずばりと言い当てたような文章を読んだとき、「やられたな」「ああ、そうか」と苦笑いしながらそのサイトは僕の記憶に刻み込まれる。
- 平易な構成で、事情を知らない者でもすぐに理解させてくれるから。
- 自分にとっては未知の分野の話題でも、引き込ませてくれるような語り口で書かれたサイトは僕にとっては貴重な存在だ。
- 情報収集の幅を広げたいと思っている自分にとって、これほどありがたいものはない。
影響されるサイト
一方で、巡回を意識する以前に、ネットに接続すれば必ず見に行くサイトがある。
そのようなサイトからは、自分のものの考え方や文章の書き方に知らずのうちに影響されていると気づくことすらある。
「巡回先」以上に、僕が強く惹かれるのはなぜだろうか。
- 頻繁に更新されるから。
- 頻繁に更新されていても、巡回先の「質」を保っているサイトに稀に巡り会うことがある。
- 「質の高い」文章を頻繁に目にすることで、その人となりのイメージが自然に形成される。それらのサイトで拾った文章は、後日自分が文章を書くときの肥やしになってくれる。
- 独自の視点が深い考察のもとに盛り込まれているから。
- そのサイトでなければ味わえないような文章を読んだとき、ネットをやっていてよかったとささやかな喜びを感じることがある。
このように書き出してみれば、「気になるサイト」と「血肉になるサイト」の差はささやかなものに過ぎないのかもしれないとも思える。
ただ、更新や情報収集という地道な作業をうまずたゆまず続けていける人こそやはり凄い人なのだ、ということをあらためて意識しておこうと思った。