ネット断ちの効用〜情報収集のアンテナをときには研ぎ直してみよう

ネット断ちから帰った夜に

週末の3日間、ネットに接続できない環境で過ごしていた。
悶々とした欲求を抑えきれずに、日曜日の夜、家に戻るや後片付けもそこそこにパソコンに電源を投入。3日も家を空けていたのでスパムメールの削除やRSSリーダーはてブのチェックにやはり相応の時間を割かざるを得なかった。
結局日曜日は未読の消化とメールの整理を終えた後そのまま寝てしまったのだけど、一晩空けて気づいたことがあるので記しておきたい。

そのブログ、「あとで読む」つもりではないですか?

RSSリーダーをチェックしながら気づいたこと。
たくさん登録しているフィードにも、「真っ先に読みに行くフィード」と、「未読が溜まっているのはわかっているけれど読むのが後回しになってしまうフィード」がある。
普段は自由な時間があればいつもはてなにログインしているからはっきりと気づかないけれど、一度にさばききれないような大量の情報を前にすると、摂取する情報に自分自身が優先順位を無意識のうちにつけているのではないかと思えてきた。
いまさらあたりまえのように思われるかもしれないが、残った未読のフィードを眺めていてわかったのは、下記のような特徴だ。

  • 単に被登録数が多かったり、「おすすめ」という雰囲気があるからであったり、よくホッテントリに上がるといった、どちらかといえば受け身な意識で登録したフィードほど、未読が消えない。
  • 逆に、自分でネットを歩いていて「これは面白い」と感じるところがあってRSSリーダーに登録したフィードは、ポストされたエントリがいくら多くても、あるいは登録しているのが自分だけであったとしても、真っ先に未読リストから消える。

はてブのお気に入りを「ストック」と「フロー」型に分類してみる

はてブのお気に入りをチェックしていても、似たようなことを感じた。
お気に入りのブックマーカーの中には、「最近ブックマークした分だけチェックできればそれでいいや」と割り切ることのできる人もいれば、「時間を割いてでも、ひととおりチェックしておきたい」人もいる。
ニュース性を期待する「フローな」ブックマーカーは前者、個性的なブックマークや味わい深いコメントを残す「ストックな」ブックマーカーは後者。
別の言い方をすれば、「好きなブックマーカー」の残した記事やコメントは、「アルファなブックマーカー」のそれよりも丁寧にトレースしている。
ブックマーカーの「水流」や「嗜好」に応じて情報収集の緩急を使い分けていけば、お気に入りの数が多かったとしても情報収集を安定して行えそうな気がした。

情報収集のアンテナを研ぐための「ネット断ち」

「なんとなく」登録したフィードを放置したままにしていて大して疑問を持てずにいるのは、ともすれば情報を収集する姿勢が怠惰になりつつあるということなのかもしれない。
毎日ウェブに浸かっていて立ち止まる暇もないまま情報を与えられるがままに摂取しつづけているから、自分に本当に必要な情報が何かと自問する意識が、ともすれば麻痺しつつあるのかもしれない。
役に立つ情報を集めるはずが、深く重たい情報の沼に呑み込まれてしまう負のスパイラルから逃れるにはどうすればいいのだろうか。
たとえば、今回のようにネット断ちの直後に一時的にインプットが洪水のように押し寄せている期間を、自分の情報収集の優先順位をリアルに確かめるひとつの機会とすることはできないだろうか。このとき優先順位の低いフィードなどを見直しの対象とすれば、少しは無駄な時間を減らせることが期待できるはずだ。*1
アンテナの感度を保ちつづけるには、ネットに接続しない日を強制的に設けるのも逆説としてありなのかな、と思った。

参考となる記事

月へのはしご - 時には情報収集をストップしてみるということ。味わい尽くすという贅沢
美味しい情報なら、なおさら、ゆっくりゆっくり、舌の上で転がし、吸いあげ、かみ締め、飴を舐めるように、いとおしむ。その時に、自分の中で、味やかたちを変えて見えてくるものだって、あるはず。
情報を収集することと消化することのバランスについて、美しいフレーズでまとめられています。こういう文章を僕もさらりと書けるようになりたいなあ、と思います。

*1:もちろん、購読するフィードなどを整理した結果、自分の情報源がさらに偏るというリスクもあるのだが