こんな本読んだ〜『密漁の海で - 正史に残らない北方領土』

密漁の海で―正史に残らない北方領土

密漁の海で―正史に残らない北方領土

『オホーツク諜報船』を再読して北方領土への興味が湧いてウェブを歩いていたところ、この本のまえがきを読んでしまい気になって仕方がなかった。本屋で手にとってみてすかさず購入。著者は北海道新聞の記者。
日本の領土と主張されながら、ロシアが実効支配している北方領土。日本漁船がみだりに中間ライン*1を越えると旧ソ連(現ロシア)の国境警備隊に拿捕されて収容所送りになる。
危険を顧みずに豊かな海産資源を狙って、冷戦時代にはソ連に「西側」の情報を提供する見返りに密漁を許された「レポ船」、ソ連崩壊後はエンジンの出力を強化して拿捕を強引に逃れようとする「特攻船」が根室海峡付近に跋扈、一時期根室市の歯舞のガソリンスタンドのハイオクガソリンの売上は日本一だったという。
非合法とはいえ特攻船が根室に落とす金は年間100億円超、生活や地域振興のためにやむをえないとする空気が蔓延していた。
国境の最前線で起きる抗争・スキャンダルも数えきれない。
レポ船に西側の機密情報を与える引き換えにソ連の情報をもらう「持ちつ持たれつ」の関係が公になる前に自殺した日本の公安調査官、水産マフィアと癒着していたがために、密漁の取締りを強化しようと表明したところで何者かに殺されるソ連の警備隊長。「国境の海」に暗躍する人々の動きはどこまでも生々しい。
後半は北方領土の返還をめぐる日本政府とロシア政府の駆け引きが描かれる。
1990年代の外務省には、北方領土の返還をめぐって二つの考え方が対立していた。ひとつは歯舞諸島色丹島をまず取り戻し、状況を見て国後島択捉島の返還を要求していこうとする二島返還論、ひとつはあくまで原理原則を貫く四島一括返還論。
険しい山の山頂を北方領土の完全返還と喩えるならば、二島返還論は多少距離は長くても安全な一般ルート、四島一括返還論は最短距離だがきわめて険しい北壁を登るようなもの。
このように見ると、北方四島に民間からの援助の名目で段階的にインフラを日本の手で整備し北方領土を徐々に「日本化」し、ロシアに譲歩を迫る二島返還論の考え方は、根室を国境の町として正しく繁栄させ、現実を前に活路を見出そうとした、したたかな戦略であることがわかる。
しかし、国後島に「友好の家(Wikipedia)」を建てるなど、一連の支援事業をめぐって特定の業者に便宜を図ったとして鈴木宗男やその側近である佐藤優は表舞台を追われ、かくして四島の「日本化」は頓挫する。選挙のために地元の歓心を買おうとする鈴木*2の下心は露骨なまでに透けて見えるとはいえ、時代に柔軟に適応しようとする二島返還論の考え方を積極的に評価する見方はもう少しあってもいいような気もする。
あるいは鈴木と佐藤は超えてはならない一線を超えてしまったのかもしれない。公安調査庁にとって、対ロシア柔軟路線を進める鈴木や佐藤の存在は、ロシアの動きを監視する組織として、自らの存立基盤を崩しかねないものだったのだろう。
僕たちは、当時の喧騒を「ムネオハウス」のネタで記憶にかすかに留めるのみである。

関連する情報

密漁の海で - まえがき
密漁の海で』の「まえがき」がウェブに掲載されている。一読して、この本を欲しくてたまらなくなった。
(社)千島歯舞諸島居住者連盟 根室支部青年部
四島返還運動に携わる団体のサイト。国後島択捉島色丹島などの現地の風景を観ることができる。
クリル はるかなる千島
1997年に北海道テレビが制作した番組から。千島列島の島々の写真・解説が豊富。

北方領土に関心を持ったのは、「日本に返還されなかったのが幸いして手付かずの自然が遺されている」ことを百科事典で知ったことがきっかけだったように思う。現在にしてなかなか行くことができない場所へ旅してみたいという純粋な興味をぼんやり育てながら長い時間が過ぎた。買い漁った本などを振り返ってみよう。

北方四島ガイドブック
1993年刊。大学に入ってほどなく、いつか足跡を記したいなあと憧れてこのガイドブックを買った。サハリンを経由して国後・択捉に入った記録が読ませる。地元の自治区長にヘリコプター代をぼったくられて予想以上に費用を要したとのこと。
北方四島・千島列島紀行
1993年刊。NHKの特番で千島列島を取材したときの記録。表紙写真にも掲載されたウシシル島を「震えるほど美しい」という形容したくだりはそのまま記憶に刻み込まれた。
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
2005年刊。ムネオスキャンダルに絡む捜査は「国策捜査」であったことを暴露した異能の外交官・佐藤優の著作。これも読み返そうかな。

*1:日本と旧ソ連の事実上の国境

*2:鈴木宗男は、北海道比例ブロックからの選出。