のと鉄道 能登線(廃線跡探訪)

廃線跡を巡るドライブ

いまでも「鉄道ジャーナル」の購読を続ける程度に鉄道には関心を持ち続けているのだけど、いつか腰を据えて取り組んでみたい鉄道趣味のジャンルの一つに「廃線跡探訪」がある。
今回、能登半島を一周するついでに、2005年3月限りで廃止になった旧のと鉄道能登線の沿線に立ち寄ってみた。
Wikipediaの解説によると、廃止された能登線は1988年に現在のJR西日本から第三セクター鉄道ののと鉄道に移管され、2005年まで17年間地域の足の役割を担った。
国道249号線を穴水から宇野気方面に流せば、鉄道敷らしい構造物が併走していることに気づく。これが旧能登線だ。ドライブのついでに、終端駅であった蛸島(たこじま)駅と能登線の最大の拠点であった珠洲(すず)駅に立ち寄ってみる。蛸島の駅舎にはNPO法人「のとレール・エア21」が入居していた。「能登線に再度列車を走らせることを夢見て」募金活動を続けているそうである。蛸島のホームにはもう動くことはないであろう気動車が一両ぽつんと留置されている。多少塗装が色あせていてはいるが、客室への出入り、制服を着ての記念撮影が許可されている。できる限りの愛情が車両や駅舎には注がれているようだ。
珠洲駅は現在地元が有効利用すべく改装の最中で駅舎には入れなかった。駅前のロータリー、堂々とした駅舎、あらかじめ知識がなければすでに駅としての役割を終えたことなど気づくことは難しいだろう。国道交差点の「珠洲駅東口」の名称も哀愁を誘う。
廃線になったレールを剥がす経費の工面もままならないのだろう。橋梁や踏切の前後に杭が立っていた他は、廃線から1年以上経った今も時間が止まったように原形をとどめていた。
地方では数少ない公共交通機関である鉄道ではあるけれど、脇を走る車や道路が立派になっていく一方で、全国の各地では第三セクター鉄道の廃止が相次いでいる。
それでも、郷土を愛する人たちの鉄道への愛着や未練をじわりと感じながら、いつか賑わいが戻る日が来ればいいなと祈るような思いで駅舎をあとにした。

駅舎などの様子


蛸島駅に留置されている気動車。手前に募金箱、ドアの左脇には実際にのと鉄道で使われていた制服が掛けられており、これを使った記念撮影も可能とのこと。朽ち果てずにいつか蘇ることを願わずにいられない。

珠洲駅構内に入ってみた。レールが錆びていなければ、今にも列車が入ってきそうに思えた。

参考にしたい情報

のと鉄道廃線に触れたサイトをいくつか拾ってみた。

のと鉄道 - Wikipedia
のと鉄道の沿革を解説。のと鉄道のウェブサイトより端正に解説が施されている。
北陸中日新聞 シリーズ「現場」 鉄路が消える日
地元紙の連載記事。能登線は地元の有力政治家が「我田引鉄」したものだったとの解説もあり、興味深い。
ClubUribouz - のと鉄道
在りし日の能登線の情景をQuickTime VRの画像で観ることができる。
廃線利用の「リアル電車でGO!」、今秋から実施へ。 Narinari.com
はてブでも既に4usersがブックマークしていた記事。蛸島の駅舎で頑張っていたNPO法人「のとレール・エア21」は、廃線跡を利用して観光客に電車を運転してもらう構想を立てているみたい。沿線ににぎわいが戻る日が来ることを楽しみに待とう。