自分のものの見方が偏っているのかな、と疑ってみるとき

はてなからの卒業」というメタメッセージ

このはてなからの卒業」というシュールなエントリを感慨深く何度も読み返したのだが、「特定のものの見方にこだわり続けることはよくないよ」、というメタメッセージとして解釈できないかと思ってみた。

自分のものの見方は、もしかしたら偏っているのかもしれない

大学時代の友人との飲み会の席で。
深夜まで残業が及ぶことも珍しくない彼らの生活は、「仕事を終えて夜遅く家に帰るとテレビをつけて遅めの夕食を掻きこんで寝る」サイクルで回っているとのこと。
ADSL回線を引いてはいるもののネットはお出かけ前の調べものと電子メール程度にしか使わず、普段の情報はテレビで入手する、と異口同音。ブログやRSSの話を持ち出せる雰囲気では到底なかった。
テレビを見なくなった代わりにネットでニュースから友人との連絡からすべて済ますようになってしまった自分のようなライフスタイルは、どうやらまだ一般的ではないらしい。

僕とほぼ同年代で、自分でもPCを持っていて、多分2ちゃんねらーでネットオークションもよくやってて、現役かどうかは知らないがP2P経験者でもある。
そんな人が、アプリケーションの起動方法すら知らないという事実に驚愕してしまった。
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今年や来年は、高校で教科「情報」を履修してきた世代が新卒として入社し始めるころにあたる。その予備知識があるだけに「若い人は、WordやExcelを文房具として扱う程度にはパソコンの操作に長けている」との先入観がある。
半分ネタかと思ってブクマしたのだが、飲み会から帰る席であながち笑えた話でもないのかな、と思った。

コミュニティを突き放して考えることができたとき

で、何が言いたくなったかというと、自分の生息する範囲にとどまってものを考えていると、自分のものの見方が知らないうちに偏っていることに気づかずインプットされる情報を処理していることが多い、ということ。
はてなを「情報を入手するチャンネルのひとつ」と自分の中で突き放して捉えることができたとき、自分のウェブに対する感情やものの見方も少しは醒めたものになっているのではないかと今日のホッテントリを読んで思い返すに至ったのだが、どうだろうか。