「地方分権=地方自治2.0」だったと朝日新聞のweb2.0の記事を読んで感じた

朝日新聞の4月3日の朝刊に「web2.0」の解説で一面割かれているのを感慨深く読んだ。

(1)利用者参加=社会全体を巨大なデータベースととらえ、ネットで集めた素人の知識の集合が専門家を超える可能性を重視。
(2)細かいニーズに応える=検索技術の進化でネット上に散らばる多様なサイトに到達しやすくなった。
(3)ソフトウエアからネットサービスへ=プログラム技術が発達し、たとえばグーグルの検索サービスは、ソフトを介さずに、無料で、だれもが簡単にその技術を自分のサイトに取り込める。
アサヒ・コム:「Web2.0」 広がる参加型ネット

これを地方行政にあてはめると、おおむねこんな感じかな、と。
1. 住民参加:一部の優秀な官僚が主導する高度経済成長期から、現場の地方公務員、あるいは市民の集合知まちづくりのパワーの源泉として生かされる時代へ。
ニセコ町三鷹市など。
2. 細かなニーズに応える:住民参加が浸透することにより、従来の官僚主導型の行政では見つけ出し得なかった、手を出し得なかったニーズに応えることが可能になる。異文化と共生するNPOと行政が協働するケースなんかはそれかな。
3. 箱物からソフトウェアのサービスへ:ハードウェアの整備が一段落し成熟社会を迎えた今、行政はサービス産業としての側面を打ち出すことを迫られている。公務全体、そういう流れにあるかもしれない。

地方の時代、といっても

こうやって思いつきで書いてみるだけでも、今のweb2.0と10年前の地方分権には少なからぬ類似性があることに気づく。
2005年に地方分権のムーブメントが勃興していたら、間違いなく「地方分権地方自治2.0」と呼ばれていましたね、確実に。
平松守彦の「地方からの発想」を読んで地方が創意工夫を凝らす時代に思いをめぐらせ、入社試験の前に田島義介の「地方分権事始め」を読んでなるほどと頷いたことはそれほど昔のことではない。
地方分権一括法を利用して独自の路線を歩む自治体は所謂先進自治体に限られるようだし、一方で住基ネット総合行政ネットワークといった中央統轄の監視装置は着々と整備されていく。この4月に地方を一瞥してみれば目の前に広がるのは中心市街地の空洞化や、平成の大合併で市町村が連合する現象あったり、集落の維持が困難な「限界集落」が全国で観察されたりする。
結局、地方の時代といいながら、格差拡大、一極集中がひたひたと進んでいるのではないかと。
翻って、「群衆の知が空気を作る」といわれるweb2.0の時代においても、気がついたときには巨大なweb2.0プレイヤーの手のひらで「集合知」を体験しているつもりにさせられるのではないか、と思ったりするのはこの10年間の既視感なのかしら?

人力検索はてな」を運営する、はてな(東京都渋谷区)にも、出資や上場支援を申し出る証券会社やベンチャーキャピタルが殺到。ただ、近藤淳也社長(30)は「『2.0』もお金の話が絡んでからうさん臭さが漂い始めた」と戸惑う。
アサヒ・コム:「Web2.0」 広がる参加型ネット

そういえば、NPOが金儲けの隠れ蓑になっている指摘もここ数年顕著な気もする。
一見制約のないフロンティアを提供されても、それを生かすも殺すも、結局見極めるのはユーザのリテラシー次第よ、と至極当たり前の結論に行き着いて、今日は寝るとしましょうか。