はてブ3ヶ月記念、心に残るブクマを振り返ってみる(1)

昨年の12月にはてブを始めて3ヶ月がたった。
心を打つと感じたエントリやページには「箴言」(=格言、名言)というタグをつけているのだが、ブクマしたエントリが20を超えたこともあるので、整理と振り返りを含めてまとめてみたい。

1. 認識されない怖さが恐ろしい

たしかに単独行はこわい。でもその怖さは認識されている怖さであって、実際の怖さは何も変わりはないのである。むしろ認識されない怖さの方が恐ろしいのかもしれない。
恐れ多くもリーダーを張ろうなんて人間はその沢を当然単独で遡行できて「あたりまえ」である。自分より実力の劣るものと一緒に行くということは、より多くのリスクを背負うということにほかならないから…。
がっちー:放 浪 日 誌:2000年4月27日

難しい沢登りのルートを単独で突破してきた沢屋さんがパーティの遭難事故に直面した直後の日記から。
登山でパーティのリーダーを務めるならばこのレベルの認識は最低限必要だと思います。

2. 間違いを指摘してもらえる大人になりたい

「間違いを指摘してもらえる大人」にならなければいけないとつくづく思う。
Life is beautiful 大人になると誰も間違いを指摘してくれなくなる

自分の物の見方が特定の方向に偏っていないかを時には疑えること、異なる意見に寛容に耳を傾けて考え方を修正できるほどの懐の広さ。

3. 不必要な警告に慣れてしまうと、本当に対応が必要なときにも無視してしまう

「不必要な警告をしょっちゅう見ているとそれに慣れてしまい、本当に対応が必要な時にも無視してしまう」というのは人間の性である。
Life is beautiful: ビル・ゲイツの家のトイレは流そうとすると「本当に流しますか?」と警告してくる

2005年12月、みずほ証券による株の誤注文事件を受けて書かれたエントリ。
大阪府警の犯罪情報配信サービスが「繁盛している」というニュースに触れたとき、このエントリを思い出した。

4. ブログは二次情報の批評にすぎない(ことが多い)

ただここで気をつけたいのは
「ブログは二次情報であることが多い」ということだ。
つまりブロガー(書き手)は独自に取材しているわけでなく
「どこかから仕入れた一次情報」」を使っている(二次情報)にすぎない。

その一次情報は新聞社やテレビ局や他のブログなどが提供している。
(ずばり当ブログもこれに当てはまってしまう)
一次情報を加工(批評など)して再配布する。
または一次情報をそのまま「宣伝」する。
これが「いわゆるブログジャーナリズム」の本性である。
タクミログ: ジャーナリズムとブログ

マンションやホテルの耐震偽装問題の黒幕をめぐって「きっこの日記」を中心に憶測が飛び交ったことは記憶に新しいが、週刊誌や新聞のクリップを根拠に得意げに事件の解説をしているブログを読んでいてなんだかなあと腑に落ちないものがあった。このエントリを読んで、用意されたコップの中で踊らされていることに気付かずに正義の味方気取りをしていることに違和感の原因があることに気付いた。
そのなかにあって、泉あい氏のブログで一次情報を発信しようとする試みには敬意を表したいと思う。

5. 努力を楽しもう

競技の世界といわずとも、一般社会人としても健康な体を維持していく為には、努力を継続する必要があります。…別の見方をすると、年中ダイエット、一生ダイエットなのかもしれません。続かなければ意味が無いのなら、続けられる手段を探さねば。“自転車遊び”は、楽しいから続けられる。続けるから結果もでて、うれしくてさらに続ける。よい循環が得られるはずです。
努力を楽しめる人

努力を努力と思わずに楽しめる人が強くなれる。主体的に取り組む姿勢を大切にしたい。

6. 論評するなら一次情報に当たろうとする努力が必要だ

自力で調査する能力を持っている人は、情報を確認するために動くのは無益なことではありませんけど、それ以外の人が、何にも動きもしないで、脳内で正しいと思い込んで、それを基にあれこれ論評するのは軽率であり、信用を落とすだけであると思います。
tonmanaanglerの日記 - 「きっこの日記」とメディアリテラシー

耐震偽装問題できっこのブログが注目され始めた頃に書かれたエントリ。
最近ならば、民主党永田寿康議員がライブドアメールの件で迷走していることに絡めて、ことのはで「一次情報に当たること」がいかに重要かを説いたエントリがアップされたが、ほぼこの主張に近い。

7. 断定するには証拠が必要だ

私もおそらくこのきっこさんというヘアーデザイナーの持っている情報のかなりの部分は信憑性の高いものだと信じています。しかし、いくらそれが限りなく真実に近いものであったとしても、しらを切り通している黒幕やさらにその陰にいる人間に「恐れ入りました」と誤らせることができるものにないのならば、それはやはり無いのと同じということになります。
たとえ情報として「本当のこと」を握っていたとしても、それが当事者達に有無を言わせないほどの証拠と一緒につきつけられなければ意味がありません
本当のことと証明できること(5号館のつぶやき)

韓国のES細胞捏造事件と耐震偽装問題にからめて書かれたエントリ。
今読み返すと、民主党がメール問題で足踏みしていることがもどかしくて仕方ない。

8. スロートラックバックのすすめ

ブログにかけられる時間なんて人それぞれで、すぐさまトラックバックしてレスして、という活動ができるとは限りません。それなのに「この話題に今さら…」という空気があった日には、話題なんて膨らみようがないじゃないですか。
3ヶ月前のエントリでも、1年前のエントリでも、遠慮なくトラックバックしちゃったらいいんじゃないかと思うのです。…
せっかく、時間、空間の縛りから解放されているブログで、わざわざ旬という時間に縛られるのはバカらしいと思うのです
大学教員の日常・非日常:スロートラックバック

旬の流行り廃れが速いブログだからこそ、逆に自分のペースで記事を書いていこうとする逆転の発想。燃え尽きないための秘訣かな?