その警告は必要なものですか?〜大阪府の防犯メールの盛況ぶりを見て考えた

自分の住んでいる京都府では携帯電話に防災・防犯に関する情報をリアルタイムに配信するサービスがある。
物珍しさも手伝って2005年9月のサービス開始当初から加入しているのだが、台風が接近する時期や大雪の時期など、メールが立て続けに配信されて辟易することがある。
配信される情報や、配信対象のエリアを狭めれば自分に必要な情報を絞り込むことができるのはわかっているが、最近は京都府からのメールだとわかると開封せずに後でまとめて読む習慣がつきつつある。
ところで、大阪府警が始めた防犯情報配信サービスが想像以上に盛況なようだ。

大阪府警が子どもへの不審な声かけなどの事件発生を速報する「安(あん)まちメール」(今月23日スタート)に登録した約10万人のうち、約2割の人が「発生が多過ぎて携帯のメールがいっぱいになる」などの理由で、エリアを限定するなど登録内容を変更していたことが分かった。中には登録を解除した人もいるという。安まちメールは、開始からわずか5日間で166件(防犯情報含む)に上っているが、府警は「送信は全犯罪のごく一部」と言う。大阪の治安の悪さを浮き彫りにした格好だ。
安まちメール:5日で166件、多過ぎて怖い 2万人、解除や登録変更−−大阪府警:MSN毎日インタラクティブ

生活の中に割り込ませてまで知らなければならない事件情報というのは、普通に暮らす身にはそれほど多くはない。
溢れる情報に対して感度を高く張り続けることができるほど、人間は勤勉にできているのだろうか?

「不必要な警告をしょっちゅう見ているとそれに慣れてしまい、本当に対応が必要な時にも無視してしまう」というのは人間の性である。
Life is beautiful: ビル・ゲイツの家のトイレは流そうとすると「本当に流しますか?」と警告してくる