能登半島ツアー(3日目)
行動の記録など
輪島の漁村宿を8時に出発、やはり半島の先端である岬は外せず、昨日時間切れで立ち寄れなかった禄剛崎へ。「狼煙(のろし)」の地名が由来ありげ。Wikipediaの解説によると地名の由来はかの地で「海上交通用に狼煙が上げられたこと」にあるらしい。
2005年3月で廃止されたのと鉄道能登線の終着駅などに立ち寄り、半島の稜線を貫く珠洲道路を走って太平洋側の千里浜へ。
砂浜を車で走れるなぎさのドライブウェイを楽しんだあと、金沢市内のスタンドで燃料補給*1。金曜日に車のメンテナンス*2をしたためか、燃費が満タン法ベースで15.9km/リットルをはじき出した。
河北潟の干拓地を巡ったあと、美川ICから北陸道へ。今庄IC(美川ICから92km)で一旦下車でETC通勤割引適用、再度入場して京都へ帰宅。*3
のと鉄道 能登線(廃線跡探訪)
廃線跡を巡るドライブ
いまでも「鉄道ジャーナル」の購読を続ける程度に鉄道には関心を持ち続けているのだけど、いつか腰を据えて取り組んでみたい鉄道趣味のジャンルの一つに「廃線跡探訪」がある。
今回、能登半島を一周するついでに、2005年3月限りで廃止になった旧のと鉄道能登線の沿線に立ち寄ってみた。
Wikipediaの解説によると、廃止された能登線は1988年に現在のJR西日本から第三セクター鉄道ののと鉄道に移管され、2005年まで17年間地域の足の役割を担った。
国道249号線を穴水から宇野気方面に流せば、鉄道敷らしい構造物が併走していることに気づく。これが旧能登線だ。ドライブのついでに、終端駅であった蛸島(たこじま)駅と能登線の最大の拠点であった珠洲(すず)駅に立ち寄ってみる。蛸島の駅舎にはNPO法人「のとレール・エア21」が入居していた。「能登線に再度列車を走らせることを夢見て」募金活動を続けているそうである。蛸島のホームにはもう動くことはないであろう気動車が一両ぽつんと留置されている。多少塗装が色あせていてはいるが、客室への出入り、制服を着ての記念撮影が許可されている。できる限りの愛情が車両や駅舎には注がれているようだ。
珠洲駅は現在地元が有効利用すべく改装の最中で駅舎には入れなかった。駅前のロータリー、堂々とした駅舎、あらかじめ知識がなければすでに駅としての役割を終えたことなど気づくことは難しいだろう。国道交差点の「珠洲駅東口」の名称も哀愁を誘う。
廃線になったレールを剥がす経費の工面もままならないのだろう。橋梁や踏切の前後に杭が立っていた他は、廃線から1年以上経った今も時間が止まったように原形をとどめていた。
地方では数少ない公共交通機関である鉄道ではあるけれど、脇を走る車や道路が立派になっていく一方で、全国の各地では第三セクター鉄道の廃止が相次いでいる。
それでも、郷土を愛する人たちの鉄道への愛着や未練をじわりと感じながら、いつか賑わいが戻る日が来ればいいなと祈るような思いで駅舎をあとにした。
駅舎などの様子
旧蛸島駅に留置されている気動車。手前に募金箱、ドアの左脇には実際にのと鉄道で使われていた制服が掛けられており、これを使った記念撮影も可能とのこと。朽ち果てずにいつか蘇ることを願わずにいられない。
旧珠洲駅構内に入ってみた。レールが錆びていなければ、今にも列車が入ってきそうに思えた。
参考にしたい情報
- のと鉄道 - Wikipedia
- のと鉄道の沿革を解説。のと鉄道のウェブサイトより端正に解説が施されている。
- 北陸中日新聞 シリーズ「現場」 鉄路が消える日
- 地元紙の連載記事。能登線は地元の有力政治家が「我田引鉄」したものだったとの解説もあり、興味深い。
- ClubUribouz - のと鉄道
- 在りし日の能登線の情景をQuickTime VRの画像で観ることができる。
- 廃線利用の「リアル電車でGO!」、今秋から実施へ。 Narinari.com
- はてブでも既に4usersがブックマークしていた記事。蛸島の駅舎で頑張っていたNPO法人「のとレール・エア21」は、廃線跡を利用して観光客に電車を運転してもらう構想を立てているみたい。沿線ににぎわいが戻る日が来ることを楽しみに待とう。
アクアパーク シ・オン(志賀千古温泉、石川県志賀町)
国道249号線上にある、2002年に開設された志賀町の道の駅「ころ柿の里しか」の中に併設された温泉施設。入浴料は450円。週おきに和風風呂と洋風風呂が男女入れ替えられる。
床はタイルカーペット張り、開放的な館内はきわめて清潔で快適。
なお、志賀町には北陸電力の原子力発電所がある。